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OFFICIAL INTERVIEW #5

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5.葬唱

絶叫と轟音で幕を開ける超大曲。8分を超すこの曲は、目まぐるしく展開を変え、楽曲の体温はこの間に何度も何度も上昇と下降を繰り返す。随所にインサートされるカワノの絶叫が悲痛に響いている。(恐ろしいことに、歌すらも一発録りにて録音されている)

これまでさまざまな手段を使って、話し手と受け手の双方を傷つけながら歌のメッセージを壮絶に届けることを繰り返してきたCRYAMY。この歌はそんな自分自身を、生み出してきたこれまでの歌を、非常に強い言葉で否定することを繰り返している。辿り着いた場所が「これまでより具体的な自己否定」でしかなかったこと、そして、それをありのまま歌にしてしまうことは、ひょっとすればこれまでで一番、双方を傷つける結果になってしまったかもしれない。

ただひたすら己の欠落の結果を冷たく並べ、「歌うということは負けるということである」という強烈な一節で幕を下ろす8分間の道のりはこのアルバムのハイライトであり、このアルバムの象徴でもある。空洞となったことを隠しもせず、むしろ空洞になった胸の内を歌にしてしまったことで、このアルバムは生み出されてしまったことはこの歌が証明している。

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ー冒頭にも話した通り、このアルバムの起点になった曲。…メタルコアとか、ポストハードコアを乱暴に混ぜて突き詰めたようなアレンジなんだけど、8分超で展開が目まぐるしく変わるし、何度も転調するし…始まりにして集大成、みたいな曲だね。これを初っ端作ってしまうのが、当時から今の今まで続いてるお前の混乱とか病理を端的に表してる感じ。

カワノ アレンジはめっちゃ変わったけどね。歌詞も書き足しまくったし。最初はもっと静かに始まって、徐々に盛り上がっていく…みたいなアレンジだったんだけど。でも歌詞がどんどん増えていって、その分展開を増やさなくちゃいけなくて、おまけに叫び出して笑 …結果的にブロックが増えてとんでもないトゥーマッチな曲になってしまった。

でも、それがよかったりもして、だから、そのトゥーマッチな状況のまま成立させるために、この曲はアレンジ段階で、楽器のフレーズはむしろ整理して要素を削ぎ落として…ってしていく作業だったね。ブロックは多いけど、鳴らしてる音はワンコードだけだったり、転調しても音としては一本調子だったりね。だから、みんなに言われるほど複雑な曲って感じが俺はしない。各所のフレーズはすごくシンプルだよ。

あとはとにかく粗く、フリーに弾いてる。精度を長時間保つんじゃなくて、瞬間瞬間のブレや揺れ動きがあっても許容しちゃうというか。声も楽器も反射し狂ってるしね。…曲が長いからやり直すのもだるいし、一発で決めるぞ! ぐらいに集中してやっちゃえたから、それがすごいよかったかも。

ーでもこれ、すごい不思議な曲なんだよね。基本的には重厚なアレンジだし、ヘビーなサウンドなんだけど、起伏がしっかりあるメロディがところどころ自然に流れてくるから完全なノイズコアまで振り切っていない。所謂サビと言えそうなメロディは王道のツービートの上にしっかりカワノの必殺メロディみたいな歌だし。

カワノ メロディを歌わずに、ここまでのハードコアライクな曲みたいに全編振り切って台無しにしてもそれはそれでカッコよかったと思うんだけどね。実際最初は、漠然と…イアン・カーティスがサイケの伴奏の中でレイジ(・アゲインスト・ザ・マシーン)みたいにラップしながら歌ってる、みたいなメチャクチャなイメージがあって笑 全部ひっくい声でポエトリーしてたんだよ。

でも、最終的に歌心が残ってしまったのは、この曲が制作初期に生まれた、って言うのがデカいかも。結局これまでのCRYAMYらしさを踏襲してしまっちゃてるというか。で、だんだんそれを否定していく感じ。だから、分水嶺だね、この曲。ここにはかつての俺…もう戻ってこない自分の、最後の残穢がメロディの中にわずかに残ってる、っていうか。今作はこれまでの自分を破壊して不可逆にしていくのが制作の根本だったんだけど、それが一番出てるかもね。

ーなるほど。これまでの音楽性というか、メロディが残ってる上で、アレンジが複雑化して曲が長尺になったり、コードの使い方やリズムの置き方が新しいものに置き換わっていったり…。あえてこれまでのCRYAMYを「原型」って言い方するけど、原型が残ってるのにそれが崩れていく、っていう…。

カワノ うん。…あの、でもさ、原型っていうのも定めるには難しいバンドだと思うけどね。CRYAMYというバンドは、多分、人それぞれであった時期で抱く印象っていうのは、違ってると思っててさ。まぁ、このアルバム以前は、歌はしっかりしてるだろうけど。

ーあぁ、うんうん。

カワノ ライブハウスでも、ジャンルでも、元からある特定のシーンに馴染めたわけでもなかったし、関わりのある周りの同期のバンドはすぐに大人がついたり大きなイベントに誘われたり、先に売れて行くことが多かったんだけど、だからこそ「俺らは無理だなぁ、ダメだなぁ」って諦めちゃったところもあって。お客さんも、所謂バンド好き、みたいな人は…いるはいるだろうけど、こう、俺らのフロアのマジョリティではないというか。…まぁ、そういうの、自分から突っぱねたのも多いけどさ笑 

だから、誰かの思惑とか、願望とかは預けられたことはないし…あんまりこう、我々はかくあるべし、こう見せるべし、という、自分達が自分達に課す制約、みたいなものは全くないバンドではあるからさ。良くも悪くもほっとかれてたし、周りから関心を持たれなかったから好きにできた、っていう。

ーそうだねぇ。「月面旅行」を出したタイミングとか、「くらし」とか「HAVEN」を出したタイミングで、周りからすごい戸惑われてしまった、っていうのは前話したもんね。

カワノ そうそう。「売れに走った」とか、逆に「こんなの誰が聴くんだ」みたいなことはいつもいつも言われたね。結局、この間のシングル(「FCKE」)も、反響は大きかった分、そういう声も多かったし。

初期の頃の、エイトビートのジャンクなパンクを期待する人はミドルテンポの歌ものはいらないだろうし、荒っぽくノリの良い曲でモッシュしたい人はファーストアルバムに差し掛かる上で顔を出してきた湿ったサウンドは必要ない。最近の音楽に慣れて人からしたら、曲展開が多い長い曲を突っ立ってじっくり聴くなんてもってのほかでさ。でも、…だからなんだよ、っていう笑 

…まぁ、だから、実はそんなに、自分としては通常運転ではあるというか…。それにそういう曲で俺たちを知ってくれた人もいるわけでさ。まぁ、今作は輪をかけてやってることが極端なのと…その、意識的に強く負荷をかけて壊そうとしてる点は、やっぱり異質だと思うんだけどね。今までの変化がおままごとみたいに感じるっすね、自分だと笑

ー壊す、っていう意味だと、歌詞もその感情はすごく感じる。…なんというか、お前にしてはすごい抽象的な歌詞だなぁと最初は思ったんだよね。なんか、ちょっと幻想的じゃない? 主観が突っ立ってる空間が、なんか現実離れしてる。

カワノ あぁ、まぁ、都市やワンルームの中、みたいな、想像しやすい景色ではないかもなぁ、今思えば。裸足で寒々しい空の下に突っ立って、自分の周りに広がる終わりの見えない荒野を見つめてるイメージだよ、俺の中では。

ーわかる。俺にとっても荒地に立ってるイメージが近い。なんか、この曲って、全体を通して聴いた時に、この、ハードコアのゾーンのクライマックスであり、ハイライトであり、じゃん。なんか、だからなのか、歌詞もサウンドもああいう破壊的なことをやった後に、結局周りのものを壊した結果、ぽつねんとしちゃってる、というか。

カワノ うんうん。…で、これ、誰が介在することもなく、ただただ独白ではあるからねぇ、これ。

ー独白。

カワノ ああ。まぁ、これは言い切ってもいいけど、これ、俺と俺の音楽の歌だからね。厚かましいけど、もう、総括して押し付けるイメージだわ。「俺は自分のしでかしたことにこうやってケリをつけます」っていう。

ーあぁ、CRYAMYの、これまで歌としてきた音楽。

カワノ そう。俺が、俺の作った歌たちに歌っている。…景色や人物が不明瞭なのは、一つ一つこぼしていった末のお話だから歌に紛れ込む余地がないってことだし、破壊の後に寂しくうなだれてるっていうのは、これまでの自分の音楽から離れたことを非常に意識的にやってしまった、からでもある…って言ったら出来過ぎな気はするがね笑 でも、…結果的にこの曲は、アルバムのこの位置に置いたのが正解だったなぁ、そう考えたら。アルバムの中盤って、俺、結構CRYAMYにとっては肝心要のスポットだと思ってるしね。

ーでもそうすると…歌詞のさ、「誰にだって言えそうな無限の愚痴だった」って、そう考えると、とんでもない歌だよ。

カワノ ははは笑 ここまでやってきても、やっぱそう思っちゃうんだな、って歌いながら思ったなぁ、レコーディングの時は。

ー…自分の曲をそこまで強い言葉で言い捨てるのはどう言う気持ちなの? そういう意味だと、とても悲しい歌詞だよ、これは。

カワノ う〜ん、どうもこうも…本当に言葉通りの意味。…うん、この歌の歌詞は全部、言葉通りの意味だな。繰り返すけど、別に元から、自分のお歌を高尚なもんでございます、なんて思ったことはないし。…実際これまでの歌詞は、いってしまえば俺の「無限の愚痴」「無意味な音」だし笑

ーう〜ん、振り返って自分の歌を「無限の愚痴」っていうところはすごく理解に苦しむがね。だって、一生懸命作ったものでしょ? 今だってステージで歌ってるし。

カワノ いやぁ、一生懸命やっても報われるとは限らないですよ。それに、一生懸命やってる自分を振り返って恥ずかしくなる権利も僕だけは持ってるじゃないですか。なんか、必死になっちゃってた自分を、痛かったなぁ〜俺、ってなってる感じに近いかも笑 でも態度に見えてるような冷笑って感じでは、本当はない…あの感じも通り越した、もっと悲惨なバージョン。「カスだな」って、悲しくなっちゃうから、泣かないように笑っちゃうみたいな。…魂入れて歌ってはいるんだけど…未明の将来で、帰結として、ダメでした、っていうのに食らってる感じね。

ーまぁ…。でも聴いてるお客さんは…。

カワノ いやいや、自分の聴いてるものが高尚なものじゃないとやだ、なんて人がいるとしたらそれはそれでいいし、俺はそういう期待に対して「いや、別に…」っていうこと=傷つけること、とは思ってないから。さっきも話したけど、俺たちは巡り会うだけなのよ。巡り会えば、期待と違うって離れるのも、そりゃあそうでしょう。どうでもいい。

ー…そういう、ひとりのリスナーの立ち位置でこの曲を聴くと、「うっ」って思う歌詞もところどころあるねぇ、この曲は。これ以前の曲みたいに、描写がショッキングだから、っていうよりも、お前の内面的な部分を垣間見たショックが強い。

カワノ あぁ、そう。

ー…その、この歌はすごく長いし、悍ましい曲だけど…頭から一連の歌詞をさ、追うことで、こう、今までお前が腹の底に隠してたのかもしれない、恨み憎しみを突然見せつけられた感じがしてて。…このアルバムはいろんなことを内包してるけど…音楽としてはさ、明確に「変化」とか、「過剰さ」「ジャンクさ」があるんだけど…この、そういうものの極地として、最後…うん…。

カワノ 最後の「歌うということは負けるっていうことだよ」だね。

ー…そうねぇ。こう、何に対して負けたのか、っていうのは…お前が1stフルアルバムを出すまでは抱えていた夢とか希望でもあるし、(長考)…音楽をする上で味わってきた失望とか失敗…、悲しみや憎悪を抱えざるを得なかった現状…。んで、一番は、このアルバムで…大きな世界に向き合った時に…それに立ち向かう上で、最後は負けてしまうだろう、っていう、諦めとか…。うん…。

 

(長考)

カワノ はは笑 まぁ、それでも立ち向かうんだけどね笑

ー何笑ってんだよ笑 …あとねぇ、確かに、昔から自分の心象風景をちゃんと詳細に書く、っていうのはお前のやってたことだけど、でも以前と確実に違うのが、なんというか…悲壮感とか、カワノが出来事なり事象を悲しんでいる感じが全くないのが…不気味でもあるし、一方で信じられない、というか。

カワノ ああ、昔はもうちょっとウェットだったよね、確かに。心情の揺らぎが「僕はこんなに頑張ってるのに!辛いのに!」的な捉え方をされてた気がするよ笑 実際はさておき、そう捉えることもできるとは、今になっておもえばございますな。言い回しが難しいけど…拗ねた子供みたいだし…ある意味「女々しい」とか「腐ったような」という例えが当てはまるような笑 あまりいい言葉ではないがね。

ー口悪いなぁ笑 そこまでではないけど笑 なんか、そういう、所謂メンヘラビジネスの連中がやってる被害者アピールじゃなくて、むしろ逆…歌いながら引くくらい自分を責めてる…この、責めてる感じも、自己批判とか検問に近いエグさ…これは、あったじゃん。例えば、パブリックイメージとは全く逆で、「#4」とかは、実はその側面が大いにあるEPだと思ってて。

カワノ あぁ、そうだねぇ。「スカマ」も「E.B.T.R」も、むしろ、そうすることで本質を際立たせたかったけど、結局あれも、…うまいこと伝わらなかったね笑 まぁ、どれもそういうもんだけど…。…まぁ何やってももう俺らのライブはもりあがんねぇからいいんだけどさ笑 むしろ、盛り下げ系?

ー笑 だけど、今作は、全くそういう要素がない、というか。もう…責めるでも庇うでもなく、ただありのままでぶつかってきて…その上で無感情にどぎついことを言い捨てていく感じ。この曲も、アルバム全体も…聴いていて、所謂「悲しい歌」を聴いた時の気分…感傷的になったりとか、そういう感情には最終的にならないんだよな。無感情ゆえに、なぜかファンタジーの具合がより薄い。

カワノ うーん、俺はね、むしろわかりやすかったり説明的であればあるほどウェットで悲しい映画っぽくはなると思うのね。昔こんなことがあった、こんなふうに思った、こいつはどうだ、あいつはこうだ、って、歌詞で説明された方がもちろんわかりやすいわけで。○○(某映画監督)とか作ってそうな、うっすいしょうもない邦画、みたいな。またこれかよ、ダリィな…って。

ー個人名を出すな!

カワノ 笑 だもんで、今作は、そういうのがない、実録ドキュメンタリーであり、…ただし事情により未完、みたいなね。

ーなるほど。

カワノ まぁ、完結させたかったら自分で噛み砕いて飲み込むしかねぇよ、って。でねぇ、これはすごく面白いなぁと思うんだけど、かつての歌にあった流した涙のあととか汗の香り、血液の暖かさが、かなりシビアに実録しているのに、…むしろ削ぎ落ちて受け取られてしまってる、ってところね。

ー確かに。そこがより明確に出そうなもんなのにね。さっき荒野のイメージってhなしをしたけど、その、人間っぽさに明瞭性がない。

カワノ さっきも話したけど、過去を振り返ってそれを再翻訳する、って作りは、もうしてないから。だからこそ、今俺がやってることが、現在進行形のリアリティっぽさはあるのに、それはどうしても説明的ではないから、逆に他人からは実存がとらえ難いのかな、って。不思議だよ。…結局、その人の実態とか実際って、すごくわかりやすくデフォルメしたり、説明的な具体性を持ってパッケージしないと、人からは理解されない、っていうことなんだろうね。

ーあぁ、でも、音楽はそうかもなぁ。あくまでエンタメだから、ポップに昇華してやらないと人は楽しめないし。…逆に俺は、世の中には「考察をさせる曲」ってあるけど、あれも考察を促すためにある意味説明的じゃないと成り立ってないもの多いし…。まぁ、ありのままを書いたつもりが、かえって難しくなってしまった、っていうのは、お前にとっては予想が外れたと。

カワノ うん。これはやってみないとわからない経験だったかも。「ああ、こうなったね」って、作りきって初めて実感した。やっぱね、ポップスを作るには絶対に、ある種、説明を挟んでやることでフォーカスを絞って、情報量を絞ってやらないといけないんだよね。言葉の難易度や解釈の多様性とかそれ以前に。最早それを実現させるための説明すら仕組んでおかなくてはいけないとすら思うし。

だから…本来の意味でありのままの姿、っていうのは、実はすごく情報量が多いんだな、って。説明量ではなく、情報量ね。説明は、情報を削ってやる役割があるとして。…まぁハナから、別に誰かに同調や承認を求めて歌を歌ってるわけではないんだけど、その、歌の部分すら伝わりづらくなる感じは避けられなかった。最早、それは人に委ねる領域で、人それぞれ伝わる度合いも異なる。

…またしても厚かましいけどさ、俺に限らずどの作品もそうなんだろうけど、どうやっても真の意味っていうのは真剣に向き合わないとわからないし…そんなこと(真剣に向き合うこと)をしてる時間は、俺たち人間にはそんなにない。…だから、ちゃぶ台ひっくり返すけど、まぁ、どうでもいいんだけどね笑

ーでたでた笑

カワノ ふふ笑 …このアルバム…ここで歌われていることは全てが現在の自分の動きであるし、むしろ未来の自分ですらありそうでもある。だから説明できるほど噛み砕けていない領域のお話もしている。そうなると、あらゆる残酷も悲劇も流動的だから説明の余地を与えられずに流れてしまう。だから、汗も涙も、流れてるのに君たちにはよく見えないし、…まぁ、そもそもが、それを流す自分を他人の中に残す時間も猶予も捨てながら結論を読んでいる感じ。

ーそれができるほど強くなった?

カワノ いや、そこをわざと見せてもしょうがないんだよね。そうすると、その、現実の現在の実存をありのまま捉える、ってテーマからはもう、一気に乖離していくじゃない。…だし、これまでにもさ、御高説を垂れるのはもう散々やったわ、って。元々強くもあるし、弱くもあるからねぇ、俺は。まぁ、でも、心が動かない、鈍感になったという意味では強くなったんじゃない?

ーだからこそ、「凄み」とか「迫力」の後に…「寂しい」が残る、って言うのが一番適切かも。何もかもあるようで、いろんなものがスポイルされてる。存在感があるのに、捉えどころがないっていうかなり意味不明な感想になっちゃったけど…。

カワノ 寂しいかな? 俺としては、一番現実の自分、現在の自分、っていう気持ちだし、もっともクローズしたつもりではあるというか…。まぁ、伝わらないのであれば、それはそうだし、これがよく伝わらないだろう、っていうのは承知の上で、ですけど。…加えて、具体化や翻訳みたいな装飾がされてないから面白くないか笑

ーいや、一番今の自分を出す、っていうのではあるけどさ。だからこそ、もう何も言いようがないんだよ、この曲は。それ自体で完結、終了してる。何か自分の中に言葉を発する余地がない。割り込む隙はない。だから寂しい。

カワノ …まぁさっきも話したけど、別にしっかり歌詞を聴いてもらうことなんてもう期待してないから、「展開が多くてドラマチックな曲だな!」って聴いてくれりゃいいと思うけどね笑

ーそうやってもう諦めて突き放す感じも嫌なところだよ笑

カワノ …まぁ、これに関しては、もう、歌ったまんまでしかないからねぇ。だから、これ以上は俺も…やりようがない。ここで頑張って喋ってさ、説明的ではないものをひたすら解き明かす、っていう、今やってることはそういうパラドックスですがね、それをやってみた上で、これ以上言うことはない、っていうか。だから、百聞は一見にしかずじゃないが、耳で実際に聴いて、その上でどう感じたか、でいいと思う。…まぁ、全てそれで良い、というのはあるし、それができればいいが…。

ー…あぁ、そうね。

カワノ でも、この曲のムードとか空気…詩も、歌い回しも、結果こういう形の曲になったことも含めて、象徴的、っていうかね。このアルバム…あぁ、こうやって俺は、始めたんだ、って。…なんか今思い出したよ、うん笑

ーだからこそ、このアルバムか、って思う。「空虚である」っていう、そういう虚しいし寂しい状況で何かを生み出す、っていう視点そのものがこれまでとは違う。これまでは何か突き動かすものがあるから歌を歌ってたし、だから歌がうまれていたのに。

カワノ そうだねぇ。…意外とさ、執着ないぜ! って言いながら、執着してたのかもね。こんな風にね、空虚になって何にもないくせに頑張って歌を残してる。

ーいや、むしろ執着がないからこそ生まれたとすら思うけど。だって、最後、負けを認めてるし。執着とは違う感情で歌を作ってるんじゃない?

カワノ なるほどね。…どうでしょう?

ー執着があったら普通はこういう姿は認めたくないわけじゃん、それにいい風に過ごせてるなら、そもそも敗北した自分の姿も想像できないわけで。…まぁ、俺からしたら、何を持って敗北というのか、っていうのはあるんだけどね。だって、例えばだけど、選手生命にどうしても限りがあるスポーツ選手とか、そういう分野の人たちと違って、歌は生きていれば歌えるし、作れるんだし。何かとの勝負とも思わなくてもいい。

カワノ なるほどねぇ。まぁ、でも、状況が良くないからどうでも良くなってるわけでもない、っていうかね。良いも悪いもなく、ただもう、空になったというか。だから、認めるも認めないも、もう終わっちまってるだけで、それは、隠す必要もないし。強いて言えば、負けた、って状況は…こう、今の私、みたいなことじゃないっすかね。戦って歌がうめなくなった。

ー…。

カワノ でも、すごくこう、捉え方によってはいいものをみんなに見せられてる気がするんですよね、俺って笑 …自画自賛くさい?

まぁ、いいけど。あの…何かを生み出したり、何かことを成したり、そうやっていく過程で、…しょっぱい表現で言うと、身を削っていく、って言うのかな、そういうの。そういうのをさ、みんな簡単に口にするけど、果たしてどれほどの人が本当にそれができたのだろう、ってずっと思ってて。

なんというか、俺を思わず涙させてくれた、これまで出会ってきたものの多くはそうやって痛みを伴って生み出されたものたちだったけど、広く見渡した時に、これまでの俺も含めて決してそういう物はたくさんはなくってさ。でも、そういうものが作りたくって自分は苦しんできたはずなのに、及んでねぇのかな、みたいな。でも、一方では、そもそも最近の俺自身、身を削った果てにある成果物…苦しみから生んだものは、果たして幸福な結末だろうか、とか…もう、身も蓋もなくいうのであれば、そんなに無理せんでも、とか、思わんでもなかったわけよ笑

でも、…その、今作は、そういう二つの想いを抱えながらジレンマになったまま…ここ数年走ってきた成果として生まれて、振り返ってみれば、確実に自分の身と心を切り落として作ることができたなぁ、削りまくったなぁ、っていうか。やっぱりこの、アルバムの曲…11曲、ステージで歌うにはすごく、覚悟とかエネルギーを必要とするし。俺はこれ…この、ザマでね、本来の意味で痛みを伴って生み出した歌を見せられるところまで、ちょっとだけでも足は突っ込めたな、って、そう…今までは自分を誇りに思うとか、なかったかも知れないけど、今は、すごいあるから。

ーうんうん。

カワノ …だから、基本的には負の感情とか、心の陰りが素直に出てしまった作品にはなったけど…一点、自分なりに光を見出せるのであれば、これを作った人は、ものすごく自分を削ってこれを残したし、それはきっと本心では自分が憧れていたものに近づけたことだ、っていう、ね。…それに、俺が誰かに、誰かの生涯に歌う歌は…この後にさ、歌うけど…で、それも結果負けてしまうけど…多分、そいつの明日を引っ張ってこれるはずだから。…自分が空っぽになるまでやったんだから、それくらいできないと、困るしね笑 このアルバム…特に最後かな、どこまで行っても、…例え自分の感情や欲求に突き動かされて生まれたものだったとしても、最後は、誰かに歌いたいから。

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6.待月

英題を「True Love」(真実の愛)から「True Dub」(カワノ曰く、「綺麗事の上塗り」という、攻撃的なタイトルに変更された)とあらためてリリースされた「待月」。タイトルが示唆する何か以上のことは意外にもなく、以前からのアレンジを潔く踏襲した再録となったが、そのサウンドの変貌は一目瞭然。シカゴで鳴らされたサウンドは以前のテイクからまた違った姿を見せている。カワノの歌はより曝け出したような歌唱に変わっており、原始的なアナログレコーディングで録音されたのにも関わらず、かえって明瞭に聴こえる。

「#4」のエンディングトラックとして独特の存在感を持っていた今楽曲。彼らの楽曲の中でも決して派手な立ち位置にいるわけではなく、フロアの高揚を無意味に煽るような、安易で瞬発的にライブの熱狂を生むような楽曲でもない。しかし、極めて何か重大なメッセージを内包していることはその独特の歌詞を読めば明らかであったことは、彼らの良きリスナーであれば誰しもがそれに気づいていたことではないだろうか。

数ある曲から選ばれ、よりディープな質感に生まれ変わって再録された意味や理由は、このアルバムを聴けばしっかりと感じ取ることができる。この歌もまた悲しい歌ではあるが、途方もなく遠い場所に沈み切って、全く手も届かない何かに向かって声を上げることは、決して価値のないことではないことも歌われている。

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ー「#4」から再録。そして、このアルバムのハードコアパートのシメになる。イントロがセッションになって拡大して、カワノのハードコアっぽいシャウティングが加わっていく。元からこの曲はドラムフレーズをハードコアっぽく、って念頭はあったって言ってたもんね。

カワノ そうだね。どっちかといえばポストハードコアっぽい、ちょっと捻ったリズムのハードコア。こういう、ちょっと…レゲエっぽい、っていうの? わかんないけど、手数を削ぎ落として派手に、かつオフビート強調して、バスドラムの置き方がグルーブある感じ。で、硬質なギターをまぶす、っていう。

ーここまで話をしてみて、このアルバムは表面的にはノイジーで不協しまくってるギターとか、お前の強烈なシャウトとか、そういう、ハードな側面が取り沙汰されるとは思うんだけど、リズムの複雑化、っていうのが実はデカそうだね。

カワノ そうだね。…あんまり言ってないんだけど、「#4」から楽器のフレーズまで基本は丸ごと俺が考えるようになったんだよね。

ーそうだったんだね。

カワノ うん。全般的に編曲を俺がやるようになった。これまではスタジオで弾き語りをベースに各々の感じで肉付けしていくやり方だったんだけど、ファーストフルアルバムくらいで限界が来ちゃって。フレーズのアイディアや編曲の部分を任せることでメンバーがプレッシャー感じてストレスで参っちゃったこともあるし、そもそも技術的に優れたバンドでもないし。それと、理論派が一人もいないからみんなの引き出しも限られちゃうのはどうしてもあって。そうなると作業効率も落ちるから俺もむしゃくしゃしてきちゃってさ。でも、できないもんはできないし、仕方がないとは、今は思うけど、当時はそれが許せんくてさ。それがよくない空気を産んでるところがあった。

だもんで、もう、そのくらいの時期から作曲段階で結構詰めるようにしてさ。弾き語りでデモを投げる、ってやり方はさっぱりやめた。原型を作ってみんなでこねくり回すんじゃなくて、その原型をもとに俺が一人でiPadやケータイのガレージバンドとかで全部の楽器の基盤は作って、スタジオ入ってあーだこーだ楽器をいじったりしてね。最終的にはおおよそ完成の見えた状態のデモを共有してスタジオで全員で合わせて、ようやくそこで誰かのアイディアが出たり、逆に技術的に難しい部分は削ぎ落としたり、って足し算引き算やる感じ。

…でも、それはそれで却ってストイックになりすぎる局面もあって。一長一短だけど。スタジオワークが、そうなるともう毎度ひたすら反復練習、っていうのがメインになるから。これはこれで、かなり殺伐とするし、俺も「なんで出来ねぇんだよ!」って怒っちゃうし。…だから、アルバムもできたし、スタジオはもう入りたくない笑 練習も、ツアーはあるけど、もうしたくないかな。練習、こんなにしてないの久々、ってくらい。

ーでも、今思うと、「#4」時点でこういう独特のリズムを既に引っ張ってきてはいたんだなぁ、って。伏線回収じゃないけど。

カワノ 結果的には連動してるなぁ、とは思った。この曲で、少し俺のルーツになってるジャンルが顔を出したところはあるし。後、俺らのディスコグラフィーでの「#」シリーズの立ち位置って、少し古い文化だけど、シングルカットの位置付けにあると思っててさ。長い目で見た時にアルバムからの先行リリース曲とそのカップリング集、って感じで。まぁ今どきは、単曲で配信しちゃって終わりなんだろうけど、俺はモノとしてリリースしたいし、一枚2000円弱くらいいい値段をとるんなら、核となる曲…のちのアルバムにおいて重大な意味を持つ曲を補う、って意味でいくつかの曲をつなげてやって出してやるのが良心的だし、嬉しいだろうな、って。まぁ、だから、必然的にターニングポイントになる一枚にはなっていると思う。

「#2」に関しては初期の録音が納得いってないから全部録り直してるけど、今作は「#3」から「世界」、「#4」から「待月」を先行カットしていて、それをより強靭に再録して収録、って感じかな。…まぁ、ぶっちゃけ時系列的には「#4」からここまでハードコアとか、ジャンクっぽくなるとは、自分でも思ってはなかったけどさ。

ーなるほどね。

カワノ ただ「#4」は俺が綺麗に歌いすぎたし、そもそも、今思えばコード進行もメロディもポップになりすぎだろ、って感じだったから、編曲は変えずに、ライブの時みたいに俺の暴走でぶっ壊してやろうかな、って感じ。

ー俺、この再録の「待月」がすごい良くてさ。演奏も音もだけど、歌…。歌がすごい生々しい。「#4」にはある薄皮を全てめくり上げたみたいな。っていうか、全体的にこのアルバム歌の録音がすごいよなぁ。

カワノ すごいよね。マジで目の前で歌ってる感じになってる。後、歌を録音したマイクは400万にするらしい笑 この曲だけじゃないけど、全曲演奏も無修正で、歌は冒頭から全部一撃で歌ってるから、テイク的な意味でも生っぽい。もちろん歌の音程は補正も一切なし。もちろんそうすると音程も声質も荒くはなるけど…不思議なもんで、このアルバムはハマった。整わない方がむしろリアルだったし。さほどやり直した記憶なくて、どの曲も多くて3回くらい歌ってきまっていったんだよね。…曲順通りにとっていったから後半になるにつれてガラガラになってるけどね笑

ー再録って普通は聴き心地がよくなったり、アレンジが進化したり、って色んなパターンがあるけど、このアルバムの二曲の再録はとにかく「完全に丸裸にしてぶつける」っていう、そこの一点突破なんだよね。アレンジも変えず、音はより破壊的になってる。…だけど、ずっと聴いていた曲たちがよりむき出しになって訴えかけてくる、って意味で、俺はそういう姿になって生まれ変わったそれを聴くと本当に泣きそうになるんだよ。

カワノ もちろん、前のテイクも生々しさは追求して精一杯やったっていうのもあるけど…やっぱりスティーブのいいところはどこまでもリアルなんだよな。より空間に存在感がある。歌にすらマイクを3つたてて、空間をパッケージングしてくれるし。ちょっとした位相のあれこれとかさ、セオリーに外れたことや、不要とされてしまうところも余すことなく拾い上げて、良くも悪くもありのままを残してくれる。だから、再録した二曲はこれまでの録音物の、最後の集大成になったね。ようやくはだかの姿が見えた、って思うし。

ーところで、この英題なんだけどさ、元々は「True Love」だったと思うんだけど、再録にあたってタイトルが「True Dub」に変更になってるよね。

カワノ 元々、この「待月」っていう曲は悲しい歌なんだよね。美辞麗句や大袈裟な愛情を並べて、誰かを過剰に想って、そういうことを繰り返すけれど、結局それは綺麗事でしかない、無駄ですよ、っていう。「かけがえのないものなんてない」っていうこと、歌詞の。

ーあぁ、そうだったのか。…改めてちょっと勘繰って歌詞を読んでみたくなるね、それは笑

カワノ 当時は皮肉って「True Love」ってタイトルなんだけど…どうもそう受け取られんかったんだよ。「#4」の「WASTAR」の後…まぁあれも、すごい理想主義っぽい、夢みたいな歌詞だけどさ笑 …あれと結びついて、言葉通りの真実の愛!みたいな受け止められ方をどうしてもされる…。本当はあの歌歌ったあとボロ負けして欲しかったんだけどね…。まぁ、自然なことではあるけど…うん。

ーだから、ここで覆す、と。

カワノ まぁ、覆さなくても全然いいけど笑 もうちょっとこう、乱暴にすることでそういうしゃらくさい感じを打ち消したかったかな。シャウトもフライスクリーム(シャウトの一種の技法)でヒステリックだし、最後はメロディも台無しにするみたいに叫ぶしね。楽器隊の音も大幅に変わった。そして、タイトルは「True Dub」…綺麗事を羅列する、重ねるって、まぁ、そういう意味。…このアルバム前半の流れを持って帰結するから、ようやく悲しい歌へと変わってくれたんじゃないかな。…まぁ、これも捉えようだから、好きにすればいいけど。

ーさっき出た話だけどさ、「神様みたいな人がいる」っていう。そういう曲かな、って。随分前にそう言う話もしたよね。この歌は、さっき言ってた皮肉っぽい感じもあるんだろうけど、本質は、そういう人について、の歌だと思うんだけど。

カワノ うん。このお歌は、俺にとっての、神様みたいな人のことを見る俺の歌。その神様みたいな人は、俺にたくさん綺麗事をお並べになってましたけどことごとく負け犬でね笑 もう、ボロカスにいうけど、客観的に見たら、惨めも惨めで。でも、そんなのはどうでもいいの。俺はその人のことが大好きだったから。ずーっと思ってるよ、今も。で、そんな気持ちで歌がフロアに歌えたなら、俺たち、負け犬でもいいじゃん、って思えるしさ。

ーそっか。ただ、この曲は歌詞が変わったところが箇所あって。

カワノ うん。あの一箇所が変わったことで、…「真実の愛」ではなく、「綺麗事の羅列」ではあるけど…歌の中にある俺の素朴な思いが伝わるかな、って。悲しい歌にはなるんだけど、嘘はない、っていう。

ーでも、そんなふうに、かつてお前に声を上げてくれた人がいて、今はお前が同じように声を上げている。これは、歌詞の内容やメッセージも大事かも知れないけど、…無意味ではあるけど、でも決して無価値ではない、って思って歌うこととか、そういう姿勢にこそ重点があると思うんだけど。

カワノ あぁ、そうかなぁ。…いや、でも、違うか…。

 

(長考)

 

…あの、すごーくシビアに言えば、結局何も成し遂げない歌ってなんの価値もねぇよ…って部分。が、ある。拭えんわね。あえてシビアに言うのであれば必ずしも否定はできないし。…むしろそういう姿勢だけを大事にしたい、って姿勢そのものに重点置いちゃうとさ…結局は「一生懸命やりました!」って自己弁護と言い訳みたいになる気がしてて。

ーあぁ、なるほど。明確にお前が避けている領域だね。

カワノ …これ明確にクサすけどさ、どいつもこいつも、アティテュード合戦になりすぎなんだよ。やれパンクだ、やれロックだ、やれおしゃれだ、やれ尖ってますだ、やれDIYだ…。そういう、見栄やキャラクター商売みたいな、表面上の薄い人間力バトル。俺はこうだ、すごいだろ! とか、わざわざ人に大袈裟に宣伝して俺はこうだからこう扱ってください! みたいな、カスみたいな話にのっとってでしか、客もアーティストも話をしないじゃん。作品の中身の話になることもないし、そういう外面と建前だけを重要視して話をしてくるやつ、多すぎ。内輪で、とか、SNSで、とか、それをやるのは、楽しいのかもしれないけどさ、マジでくだらねぇなと思ってて。それありきで表現を成り立たせようとしてるんなら、タレントになればいい。

…うん。加えて言えばさ、そういう姿勢を取ってる、頑張ってるんだからどんなことになっても許してちょ、っていう選択と言い訳を絶対に俺は用意しない、許さん、って。…だから悲しい歌にもなってくれるわけでね。だって結果として無なんだから。力がないからね、俺は。

ーまぁ、言わんとしてることはわかるよ。…でも、あくまで純粋な姿勢に対して、結果を問わずに、その姿勢そのものから何か希望を見出す、って人はいると思うけど。お前のいうこともわかるけど、何もかも否定的にするのはどうなのかな、って俺は思いますが。

カワノ それは…ここまで言っといてあれだけど、どうでもいい笑 もうね、何度でもいうけど、どうでもいい! 批判するとかではなくてね。ほんと…さっきの言いぐさは、言葉が強くって申し訳なかったけど。…まぁ、そういうのですら、俺に害を与えない限りは…いざ直面したらキショいし、イライラするけど、視界の外に出てくれさえしてくれたら、みなさん自由にしたらいい笑 だけど俺は、演出を考えて、ペラペラの格好付けと、外堀埋めた上でのポジショントークに終始して、うまくやり過ごしたらそれでよし、とかは思わん。

…思わん、っていうか、それ以前に、大事なのはどんな結末であれ、帰結を問いたいし、見てほしいな、と。失敗も正解も、どうなろうともいいんだけど、それ以前の姿勢とか人間の用意した虚像だけでジャッジっていうのは…じゃあ、頑張ってるから何? とは思うかな、俺が俺を外から見たとして。…まぁこれを人に強制するわけじゃないから、これ、俺に限った話ね。その、俺がお前にとって使えるやつなのか、いいやつなのか、でかい存在なのか、それが大事だよ、っていうね。

ーなるほど。

カワノ 俺がやってることもさ、何の役にも立たないんだったら、ゴミなんで。じゃないと「True Dub」なんてタイトルつけないっしょ。うん…もうちょい、この曲に限って、かつマイルドに言えば、俺のやってる綺麗事の羅列が、究極、役立たずかもしれないね、って思ってるよ、って話なのかなぁ。この歌ができてから、ずっとそう思ってるし。…あぁ〜まぁ、でも、これをフロアに投げかけていることがそもそもそうだけど…うん…どうなろうが、俺の手は既に離れていて、そして結末はそれぞれに用意しておいてほしいな。俺の歌が何かを成し遂げたのか、そうではないのかは、それぞれの思うところによる、って。

ーあくまで自分以外の誰かの、冷静な目でしっかりと見つめてほしい。

カワノ そう。それは冷めててもいいし、理解不明の表情でもいいわけよ。俺にとってこれは非常に大事な考えなんだけどさ、俺は常々、歌の力には限界がちゃんとあってほしいの。何かを及ぼすこともできる日があれば、無価値に流れる日もある。一回歌うだけで世界が変わるなら、俺たちミュージシャンが継続して歌い続ける必要はない。だからこそ根気強く、許される限り、何度も歌うわけで。無力で何者でもないから、歌を作る必要があったんだよね、俺は。

でも…ここに込めた姿というのは、ただ精一杯、美しい人が、役立たずでも美しく生きている、ってことだけなのかも知れんわけでさ。でも、残酷だけどそれ自体が大事ではないんだよね。あくまで、最後、どうなったのか、それが大切。実際を、実存を、問いたい。惨めな結果であったとしても、誰かに忘れられてしまうような儚いものだったとしてもね。

ーでも、お前のいう「神様みたいな人」は、お前の中に何かを成し遂げたんだろ?

カワノ うん、そう。もう本当にね、言ってることめちゃくちゃでも構わんけど、まぁ、カスでしたよ、その方は笑

ー笑

カワノ 最後はポックリ、誰にも言い訳や恨み言を残さず、一人で死んだけど…。その人は誰かにとって、大事な人間には、そう多くはなれなかった人でしょうよ。けど…彼は俺の大事な人間だったっすね。彼の並べた綺麗な言葉は…実際、俺は今もぐらぐらしながら生きてるけど、確実に俺の背中に背負ってるわけで。

ーうんうん。

カワノ 最後どうだったか、って意味だと、彼は、最後…少なくとも一人の人間の人生には及ぼした。…美しいと思うね、俺は。それはその人が「美しく生きようとした」からじゃない。「結果的に美しかったから」だから。…その逆…「美しく生きようとした」けど、「そうではなかった」という側面が存在している可能性も、あるけどさ。

…しかしね、もう本当に、すごい自家撞着を繰り返してるみたいに聞こえるかもだけどね、やっぱり心のどこかでは、綺麗事を重ねることを、諦めたくないし、役立たずでも意味がない、とは思いたくない、って思てるかも。俺は美しい人を知っているから。だから、複雑に思考の端から端を行ったり来たりしながら、この歌は歌ってるかな。歌詞にもあるけど、かけがえのないものは、ないようであるって…まぁ、最終的に、そう断言できるように、歌えればいいよね。「君もそうだろう」…よりも、「君はそうだよ」でね。

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7.街月

らしくないと言っていいだろう。ぼんやりと、漫然とした視点。確固たる眼差しというのはなく、言葉は厳格さを放棄したようにグラグラと揺れながらどうにか意味を紡ぐことに成功しているが、実像はぼやけている。

あえて思考や帰結への到達を放棄することで、ある意味ではカワノの歌詞に共通して流れる確固たる方法論のようなものが抜け落ちた歌詞は、またしても彼のこれまでの道のりにはなかったラップじみたメロディによって揺らされていく。憎悪や失望をあれほどまでに吐き出していた声は旋律と輪郭を取り戻し、姿を変えながら不思議とそれに連なっているようだ。結局、聴き終わってみれば、らしくないと言っていい、と言った当初の感想は、実に彼らしい、という実感へと変化している。

最終的にこの歌は目の前の一人一人に対して解決なく言葉を投げかけて終了する。解決を用意しないからこそ、悲しみの渦中にいるもの、悲しみを感じる隙間すら失ったもの、悲しみをまだ浴びていないもの。あらゆる人に平等に歌われ、あらゆる人を不公平に阻害する。そして、解決がないからこそ、これから見出すことのできる暖かなひかりへみんなを導いていく。このアルバムの後半戦は、そんな歌から幕を開ける。

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ーこの曲も俺好きなんだよなぁ。「Dukkha」は、「苦」を表す…と、Wikipediaで読んだ笑

カワノ 仏教用語なんすよね。これ。

ーいっとき読み狂ってたもんな、その類の本。

カワノ 結構面白いんだけど、みんなから怪しい目で見られるのが玉に瑕ですね笑 なんか悩んでたのかなぁ、俺…。

「苦」っていうのも、捉えようが結構難しくてさ。この、ここまでの一連で、「虚しさ」とか「無意味さ」みたいなものに帰着してしまった様を書いてきたつもりなんですけど、このあとは…ここからは、その、「空虚さ」を抱えた人間に対して歌うことでもあり、また、そういう「空虚さ」を抱えた人間である俺の心のありようの歌であると言いますかね。

ーなるほど。音楽的にも、歌詞としても、ここを起点にまた変わるもんな。よりメロディアスで、歌詞はより切実になっていく。

カワノ …で、この曲、これの前の「待月」と地続きに続いていくんだけど、その時にふと、その、「Dukkha」を思い出したというか。仮タイトルは「Suffered」だったので、意味は通るんだよね。で、後で調べたんだけど、「Kha」は、「空」…「穴」とか、そういう意味があるんだって。で、「これめっちゃいい言葉だな!ちょうどいいわ!」って、決定笑

ーなるほど笑

カワノ だから、結構難しかったのはアレンジだったかもね。一番二転三転した。これ。当初のアレンジだと、もっとちゃんと凝ってたんだよね。一番最初はリズムもカチッとしてて整頓させて、アルバムの中でもスパイスになる曲の予定だった。ギターもちょっとかわいらしい、リズミカルな爆音ファンクみたいな…なんならちょっと洒落てた。このアルバムで唯一UKっぽい感じ…the 1975の「settle down」みたいな。あれをモロに下敷きにしたアレンジだった。見る影も今やないですけど笑

ー確かに、メロディ…っていうか、ほぼラップに近い歌だけど、リズムは細かくてストレートではないね。名残はあるような。

カワノ でも、そのアレンジでやってみてもなんかちげ〜って。で、そこからもっと壮大な感じにしたりね。開き直ってリフもんにしたり。最終的にはメンバーに持ってったパターンでスタジオで色々やったけど、メンバーのスキル的な限界もあってどうもしっくりこなくてね。

結局、楽器隊に抜けてもらって、ある意味俺たちらしく、ギター弾き語り+暴走するパンクみたいなアレンジに変えた。おかげさまで一貫性は出たんじゃないかな、アルバムとしての。雑然としたサウンドスケープのアルバムではあるしね。

ーこれ、テイク自体もすごく人間っぽい。この曲が一番、演奏が、って意味ですごく生っぽさを感じる。

カワノ もうブロックごとにテンポ変わりまくってるからね笑 ぐらっぐらのまま暴走してる。演奏は全曲クリックでテンポをとってないんだけど、これは特にそれが出てる。一番下手くそなんじゃないかな。歌もラフだし、ぐっちゃんぐっちゃんよ! みんなはやり直したがってたけど、これがよかったんだよね。演奏も歌もブレブレだし、めちゃくちゃなんだけど、これくらい揺らいだ方が歌のテーマにも当てはまってる。

…し、アレンジも演奏も、ここまでの曲たちみたいに、これまでになかったものをモアイズモアって過剰に加えていったりするとテーマから乖離して行っちゃう気もしてて。それに、下手に整えていくと、この手の歌のリズムは、それこそオシャレになりすぎるから。あまり洗練されすぎるのは避けたくてさ。

ーでも、歌詞は韻をふんだりしているからリズミカルではあるけど、内容はカワノらしい諦めを含んで黄昏れる感じ。カワノ式のブルースというか、フォークというか…このアルバムで一番お前らしくないはずなのに、一番しっくりくる、なぜか。

カワノ う〜ん、そうなのかな。フォークのエイトビートのストロークではないし、メロディの割り方も歌謡的ではないんだけどね。歌詞かなぁ。

ー歌詞だね。反抗や抵抗、孤立、で、最終的には空虚ゆえの諦め、みたいなものを選んできた…選ばされた人間の、その先の姿がある気がする。さっきの話で出たけど、空になった人間の痛みが滲んでる気がするんだよね。

あと、俺は、これ、アルバムの前半のハードコアパートを回収するみたいな歌詞だなぁ、って思ったな。ここまで歌われてきた主題というのが、お前の主張や攻撃性、激情だった。…自分の痛みを叩きつける分、自分を酷使して蔑ろにし続けていたじゃない。で、その結果、力尽きたとも言えるし、ここですっと体温が落ちたとも言えるし、燃えていた炎が小さくなってやがて消えていくようでもある。

カワノ うんうん。まぁ、情けなく聞こえるけど、全くもってそうだね笑

ーさっきもした話だけど、その、ここに辿り着くまでに、カワノは結論として「空虚さ」というものを俺たちに見せて置いて言った、と思うんだけど、これを、カワノ自身が自覚することは苦しいことじゃね? って、俺は思っててさ。ここまで、自分が使い果たしたものや失ったものを自覚しないと歌えなかった歌で。お前はその状態を見据えることで生じた痛みを…言葉は強いけれど、覚悟をしている。…で、その覚悟を持って後半戦の轟音は始まっていくと思うんだけど。

俺はこの、体温が落ちる・力を使い果たす、っていう状態を書けることがすごく大事だと思うんだよね、このアルバムで。ブルースを感じたのはそこで。これを自覚した状態でそれでも歌詞を絞り出すことは、俺は本当に…別に一緒に曲作ってないし歌詞も書いてないから関係ない一リスナーみたいなもんだけど、その状態、マジで悲しくなっちゃうし笑

それに、仮にこのアルバムの冒頭からのブチギレ具合で爆走しても、まぁそれはそれでいいのかもしれないけど…ここから、お前自身が痛みを伴った状態で、力を吐き尽くしても、それでも壮絶に腹の底から歌うから、俺は泣ける。だからこそ、本来の意味で同じ地平に立って誰かに歌えてると思うんだよね。

カワノ そうっすね。まぁ、仮に前半戦を無視して、この後半戦のような歌だけを並べたアルバムを作ることもできなくはないですよ。もう少しハッピーだよね、そっちの方が。でも、それは、結局トラックを埋めるために後半戦のそれぞれの曲を薄めたような歌詞を並べるだけにしかならない。…そして、痛みを伴ったり、自分の欠陥や欠落をありのまま白状しないと、歌う資格がないとすら思うし。

それに、「世界を見る」ことは、できるだけあらゆる側面から見つめないと行けないじゃない。あらゆる経験や体感を伴って気を吐くことを持ってしないとできないことで。

…本来、「願う」ことや…「強く歌う」ってことは非常に悲壮なことで。裏側の、痛みの伴わないそれは、あっちゃいけないんですよ、俺のルールでは。痛みがあったから、人は願わずにはおれんかったわけで。…まぁ、逆も然りで、痛みだけがある、なんて世界もファックなんで、それはおかしいから、その痛みは俺が消してやる、壊してやる、って、それは思ってるっすけど。どちらも存在することが大切だし、…断言するけど、普通のことで、当たり前なんで。

何かを麻痺させる・逃避を許す・安心をさせる…別に、そういう感情が俺にもあってもいいとは思うんですけどね。でも、少なくとも俺はそうする気はない。意図的に除外してるし、そういう曲を作る気はないし。何より、それで浮かばれなかった誰か…そいつらのサウンドトラックを作って、俺も戦いながら、手渡してやりたかった。…このアルバムは、そういうアルバムですわな。

ー…そして、この曲をアルバムのまさに中間とするなら、この曲で5曲ずつ両断した時に、「待月」と「ウソでも〜」は、歌詞は違えどどちらも愛の形を問うた歌で。「待月」の、綺麗事や愛は無力であること。そして、「ウソでも〜」の、反対に無力や愛故に心を尽くすこと。「街月」も、俺はそういう意味では愛の歌ではあると思ってて。痛みの中で愛を諦めないこと。

カワノ うん。その二曲をつなぐ、とか、加えて、その2曲のラブソングを後づけで修飾する、って意味でも、この「街月」はすごく大事な曲になった気もするんだよ。

ちょっと話ずれるけどさ…お客さんにとってはもしかしたら嫌なこと言うし、俺もそうなんだけど、ラブソングって、少なくとも書く瞬間に絶対思い浮かべてるのは近しい人だから。家族なのか、彼氏彼女なのか、嫁さん旦那さんなのか、兄弟姉妹なのか、親友なのか、恩人なのか。これは、当たり前ね。…色々いるだろうけど、まぁ、そこまで言い切ってしまえば逆に、1聴者は思い浮かべられてない、ってことでさ。

でも、そんなのさぁ、例えば、ある日のライブのフロアに何人と詰め込まれようと、その歌は誰のことも浮かべることはない…って超悲しいでしょ? だから、「待月」も「ウソでも〜」も、そのどっちも、究極、ライブでこれを直接歌う瞬間は、何よりも優先してフロアの人間一人一人のための歌にしなくちゃいけない。そう思ってるわけよね。…音楽のいいところって、個人的な愛情とか、そういう決して届くはずのないものを体感させることができる力があることじゃないですか。この「街月」…さっきのような自分の力なく突っ立ってることも、間違いなく反映はしてるからこそ、それでもちょっと無理をして歌ってるのは…極端に言えば、フロアのみんなのためだな。そういう歌であって欲しいとすら思うし。

…まぁ、こういう愛の歌を君に!って言うのも気色悪いし、フロアの人間が果たしてその歌がいるかわからねぇけど笑 …しかしだね、…俺だったら、いらん笑 気色悪いから。

ーいらんのかい!

カワノ 聴き手としてはいらないものを作る、という笑 でも、不自然とは思ってるんだよね、それでも、作り手としての立場から、になると。もっと言えば歌い手として、目の前の人に歌えていない状況は。…まぁ、そうはいっても、多くの局面で俺は自分の音楽を聴いてるやつすらも信用しないけど。

ーおいおい笑

カワノ 実際「こいつら、全然響いてねぇな〜!」ってのみて笑っちゃうことあるしね笑 行く街でも全然違う。ぶっちゃけ、俺たちの音楽と相性のいい場所と悪い場所は、どのバンドにもそうだけど、あるし。それはもう、嘘ついて「毎晩最高のフロアです!」とかは、無理笑 「ダメだね〜今日は!」の方が多いよ、むしろ。

…それに、いつ何時でも信用してる、って言いきっちゃうと嘘くさいでしょ。お客さんも、こいついつも社交辞令だな、ってなるとダメじゃん笑 嘘の信用ほど嫌なものはないですし…「あぁこいつ、俺たち私たちのこと信じてないな」っていうのも、皆さんねぇ、…もはや楽しんでほしい、です! …その、結構ね、冷たい目で見られるのも、いい! って笑

ー変な方面に目覚めて笑

カワノ …でも、たまにあるんだよね、こう…ちゃんとここにいる意味があるな、俺って日が。だから心の底からこいつらのために歌いたい、という日。この間のクアトロワンマン(2023/3/29に開催された2023年のCRYAMYワンマンライブ)みたいな日の、ああいう純度のすごく高いフロアがそうだね。…あそこに駆けつけたような連中のことは、少なくとも歌の中に思い浮かべていたいし、信じてると言い切りたい。その小さな思いは、この曲があることでできるんじゃないかな。…で、まぁ、俺にとってはそういう日があるおかげで…誰かにとってはそうやって歌われることで、少しずつ、少しずつ癒しがあればいいな、って、そういうのも思ってるよ。…相変わらずそこの目線はシビアではあれどね。

ー中間を負う、って意味ではさ、「街月」の歌詞はすごく絶妙というか。「待月」の、悲しみがありき諦観がありきの情愛の歌詞を受けて、って意味でも、その後に続く「ウソでも〜」のある種迷いのない告白のような歌をより説得力あるものにする、って意味でも。…でも根底には優しさがある。

カワノ う〜ん、これに関しては優しさではないんじゃない? 憐憫ではないでしょうかね。悲しみというよりは。

ーああ、憐憫。なるほど。

カワノ 憐憫。あわれむ感情。自分のことを。…まぁでも、他人のこともなのかなぁ、どちらもかも。

ー取り返しのつかないことに対して悔やんだり嘆いたり。

カワノ 優しさを感じるというのであれば、これは…優しさじゃないんじゃなかろうかねぇ。慰めじゃないかな。そりゃ自分のことを憐れんでくれてるんだから自分にとっては一番優しいでしょうよ。で、この憐憫の情はこれまでの自分の生きてきた道に向けてる。…一口に優しさと言っても難しいのはさ、そりゃ自分で自分を慰んでる、っていうのは、まぁ、批判的に自分を切り取るのならば、優しいではなくて、甘いわな、己に笑

ーなるほど。…手厳しく言うね。

カワノ でもこうやってさ、自分をこう…正当化するわけではないけど、自分の足跡を少しは自分で慰めてやらんとやってられんのよ、もう、俺は。

ー自分で選んだ生き方とはいえ、まぁまぁ厳しい生涯ですからね、バンドもあんたも。…サビの歌詞はもはや自分に言い聞かせているようでもある。

カワノ うん。

ー逆にさ、あんたがのうのうとのほほんと生きてきて音楽をやってきた人間だったら出ない歌詞の連ね方ではあるように思うし、たとえ憐憫という、あんたからしたらすごく無様な感情からでも発されたこの言葉は、少なくとも一友人からしたら胸を打つというか。優しさではなく、憐憫だ、っていうとさ…何というか、それもある種普遍的じゃん。自分を憐れんでしまう心情って。…ダサい事かもしれないけどね。

カワノ はいはい。

ー誰にでも経験のある、少し後ろめたいし恥ずかしくて隠したくなる行動。だからこそ、自分に言われてるように感じるんだよね。この歌の歌詞は。そして、そうやってお前が図らずも聴者の背中を押すことで、どうにか生きていくのだ、って、そういう風に歌が響く。さっき言ってた、お前がフロアの誰かの歌にしなくてはならない、って言葉を聞くと一層そう思うというか。

カワノ しかしね、この歌に関しては「待月」とは全くの逆の精神性で歌いきっちゃうという…結論を先延ばして投げっぱなして歌いきってしまってるからね。…慰め、ってそういうもんだし。心の中に病理があったとして、それの根治ではない。…上手に生きていくことができなかった。上手じゃないけど日々を送るしかないんだ、っていう。だからこそ、その解答はこの後の曲たち…重くて湿ったゾーンを抜けた先にある明るい光に委ねた、というか。

…どうしても、歌を聴いた人には未来で温かいところで未来は過ごしていて欲しいけど、そのためにはその瞬間を凌がないといけないから。そのためにはこういう、回答のないこと…一種放棄や降伏もやむなし、って俺は思ってるわけよ。最終的には解答を持ってきて、「どう生きていくんだ」って、そういう話をしなくちゃいけないけど、じゃあその話を言い切るには…まずはそこにいくまでの、その日その日の雨風を凌がないといけない。じゃあ、俺は同じように雨に打たれて、濡れながら曇った空の下でまずは話をしなきゃいけないんだよ。温かいところから投げかける言葉に価値はないんだから。…雨の中に止まった人間じゃないと吐けない言葉があるからね。

ー…なんか俺もむずかしくなってきたな。…優しさって難しいよ。

カワノ 何度も言ってきたけど、ロックンロールに優しさなんて不要なのよ。ロックンロールの役割は、その日の雨をしのぐ傘であり、その日から先の道を示すきっかけであり、孤独は孤独のまま踊らせる機能であり…決して優しさというものではないし、優しさではどうしようもならなかった人たちへ捧げるものであるべきで。

優しさを与えたいなら歌なんていう遥かに人と距離のある、時間を要するツールを使うのは矛盾だし、もっと言えば、その優しさは、もし存在するとするなら、そこに隔たれた遥かな距離を歌を聴いた人それぞれが想像して、時間を経て勝手に自分の力で見出すものであって、歌そのものには即効性も力もない。…あと、歌の世界…浮世に優しさはないですよ。そこを生きるためにもがく醜悪な姿や、逆にエスケーピズムを試みた末の呑気さはあっても。

ーそっか。でも、そうやってなげっぱなす、ってお前は言うけども…最後はなんのかんのとちゃんと「これは愛だ」って言い切ってるじゃない。結論までは辿り着かなくても、それでもその時点での気持ちは断言してしまえる、って言うのは、このアルバムで徹底されてることで、ここでもそれはやり切れてる。

カワノ ああ、それはもちろんそうだね。言い切ることは絶対にしたかったし、それでも結局は出せなかったり出さなかった結論を、じゃあ俺が全く持ってない、ってわけではないから。多分、その姿勢というか意図というか、俺が引いた筋書きの答え合わせは、ここで提起した上で、これ以降の「歌」のゾーンでしていってるんだよね。…ここからがレコードで言うと、Bサイドとか、LPの二枚目の一曲目、って感じじゃないかな。俺が理想とか、その…先伸ばした結論を歌っていくのは。

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8.ウソでも「ウン」て言いなよね

乾いたギターの音と、これまた乾いた囁く様な歌声からこの曲の幕は上がる。ここまで全曲、硬く重い轟音と掠れ歪んだ絶叫で叩きつける楽曲で徹底して固められてきたが、この曲の音像はこれまでのCRYAMYの質感に回帰したガレージロックサウンドになっている。しかし、これまでよりマイルドな質感で柔らかく、遠くの方で歌われる多声コーラスはふくよかな空間の響きを伴って鼓膜をまた違った意味で揺らしてくるようだ。

この楽曲は、ある意味では偏執的に自らの人生で体験した「喪失」や「欠落」を検問し、容赦なく批評する狂気で叩き上げることを課してきたであろうカワノの詩に、これまで決定的に欠けていた一つの側面がある。失うことを恐れる気持ちと、喪失を回避するために心を砕く、そんな姿だ。ここで綴られる思いは、このバンドを進めるにつれ「大切なものを失った」「もう何もない」と繰り返し主張するカワノの姿と反するように…もしくは、だからこそなのか、彼にとって大切な存在に向けて「失いたくない」と歌われている。

客観的に見てもCRYAMYは、カワノは、他人の存在を必ずしも必要としていない。それはバンドのスタンスや自由すぎる活動のスタイルにもよく反映されている。誰が欠けようが、何をなくそうが、お構いなしに日々を送るし、平然とする。誰も彼らを根本から揺るがすことは不可能だ。そして時にそんな姿は他者から憎しみも買うし、周りの景色を遠ざけてしまう。その限りなく寂しい男は、だからこそ眼前にいる障害を何度も超えて会いにきた人間を「よく来たね」と歓迎し、その都度大切にできるし、極めて素直な心情で歌を歌えるのだ。

そんな彼らがようやく口にできた「何かを失うことへの抵抗」は、カワノの自称する「無抵抗な弱者」という地点をわずかでも踏み出そうとする、美しい矛盾の様に響くのだ。

ラスト、またしても、カワノは耐えきれず絶叫した。まったく、こうすることでしか伝わらないことだ、と言わんばかりの、よくも悪くもな徹底的な一本調子は、ここまでくるとかえって清々しいよ。

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ー…こういう曲がカワノらしいメロディだから、安心する笑

カワノ 前半がああだからね笑

ー試練を乗り越えてようやく辿り着いた…って感じ笑 シンプルなガレージロックで…やっとっすよ、ええ笑

カワノ 不便なアルバムですんません! ようこそお越しくださいました笑

ー笑 この、多声のコーラス。これもすごく生々しい。コーラスって、もっと楽曲に馴染むイメージだったんだけど、本当に全く独立して歌ってるように聞こえる。

カワノ 珍しいっしょ。空間の反響しかり、一気に歌がパッケージングされてるからだと思うよ。あとは、伴奏に馴染むようにEQして声の帯域をいじったり、エフェクトをかけて飛ばしたりしてないから。もう、本当にとりっぱなした音。

…あとは、メンバーに歌わせてみたりとか。昔だったら絶対に嫌だったし笑

ーそう、それは思った。「あ、これメンバーみんなが歌ってるんだ」って。…っていうか、コーラス入れるの嫌だったんだ笑 

カワノ うん。

ーなんかこだわりがあってCRYAMYはあんまりコーラスやらないのかなぁと思ってたんだけど。

カワノ いや、シンプルに、マジで嫌だっただけ笑 基本的に、自分の書いた歌詞を歌わせたくないんすよ…。

ーひどい話だなぁ笑 …そもそも、なんで嫌なのよ。

カワノ う〜ん、理由は色々あるけどねぇ…。…あぁ、別にね、ライブ来た人が客席で歌うのはいいんだよ! それはもう、託したものだから、託された側は勝手にすりゃあええよ。でも、ステージ上の人間が、一種の表現として歌う、みたいなね、あれは自分の歌を自分以外のやつがやるのは、すごい嫌だね。歌がうまけりゃいいって話でもないし。

ーお前の歌詞を歌ってるときに、ってこと?

カワノ そうそう。まぁ、俺らも曲によってはほんのりコーラス入ってる曲もあるし、誰かがアレンジとしてやりたい、って言えばやらせてはみるけどね。第一、和音・和声として考えるなら正確に音符を当ててくれればそれでいいのかもしれんけど…そういう問題じゃない、っていうか。理想論だけど、歌に関して言えば、これはもう、自分がこめているものと同等の重さを引き受けるくらいの気持ちで歌ってほしくて。

ー…それはお前の分身を用意しろ、って言ってるくらい不可能なことだと思うけどね。

カワノ そう! 不可能なんですよ! どだい無理な話で。で、なんとかしようとしても、このお話は結局、俺と心を一つに! とか、そういう話になるし。でも、それは俺、ナシでさ、洗脳みたいで嫌じゃん。もうこれは、努力や矯正云々でどうにかできる次元じゃないわけ。言葉にする以上に凄く難しいニュアンスが俺の中にはあって。

ー偏屈なやっちゃな…。

カワノ …あとねぇ、そもそもの話…こんなこと言ったらあれだけど、俺ら四人が心を一つに、なんて、最初っから目指してないし笑

ー笑 バンドとしてはダメだけどね、それ笑

カワノ うん、だから、このバンドの、歌とか魂の重みは俺が全て引き受けてるんだよね。そこの領域での一体感とか、協力とか、そういうの、ないわけ、最初っから。誰に渡すわけでもなく、俺が全部持ってる。

ーでも、それはなんとなくわかるよ。作詞作曲者がお前、っていう意味でもそうだし、その、感情とか魂の部分では、あくまでお前の歌ありきなんだよね。歌というか、発する何か。ごくごく個人的なものに止まって聴こえてはいるんだよね、良くも悪くも。

カワノ でも、俺としちゃあ決して悪い意味ではない。リズムを刻むとか、フレーズをなぞるとか、外部じゃオペや照明がいて、それぞれの人間がいろんなやることがあって、背負う役割が一人一人違うってだけで。結果として、俺がそういう精神的な部分はすべからく抱え込んで重心を傾けることでバランスを保つ、っていうのがこのバンドにあったやり方だった、っていう話でもあるしね。むしろバンドらしいとすら思う。

ーなるほどなぁ。コーラス一個とっても、そこまで外界を切り離すことを徹底するのはしんどそうだけどな。

カワノ いやぁ、そんなことないよ。むしろ、こうやって「曲と俺」のセットから、他のあらゆる人の思想や人格・人生を切り離してるから、お互いにやることやれてるバンドだと思うんだよね、俺らは。

…なんか、バンドをやってると、チーム感とか、ライトな話だと仲の良さとか、もっとキモいのだと、メンバーやスタッフがボーカルを支えて…みたいなのを、すごい想像されるんだけどさ…。別に、そう努めることは素敵なことだとは思うけど、我々に関しては違うというか。…俺は極端な話、他3人のメンバーやスタッフ…お客さんもね、みんなが自然に過ごしていて、その自然体な姿が、俺の思ってることとか、俺の曲から反する空気や徹底的に衝突すること…もしあったとしても、これは俺、当たり前のことだと思ってるのね。

ーほお。

カワノ むしろ、その辺がこじれてるのがずっと普通な気もしてるし。なんでもいいんだけどさ、大の大人の男どもが5人、10人と集まってるチームだけど、俺たち一人一人の女の好みやプロ野球のチームの好き嫌いから、思想の右か左のどっちなんだ、ってディープなところまで、わざわざ掘ってないけど、絶対一人一人が違うわけだから。でも、それでいい。ただ、ここは俺にとって大事だから一線引いておこう、と、そういう部分に、俺の歌と詩があるわけ。

それでもやる曲にしてもさ、多くのコーラスは主にたかしこがやること多いけど、別に、たかしこに俺と同じ思考をなぞったり考えを統一してほしいとかは、もう今更、全くないわけ。俺の死んだ友達とか、家族とか親友とか彼女とか、そういう人を思った歌をさ、同じように思って、とかは不可能だし、求めないし。…キモいし笑

ーそれはそうね笑

カワノ んで、それとはまた…逆のベクトルで言えば、…めちゃくちゃ極端な話をするけど、そうだねぇ…(長考)例えば、ですよ。例えば…俺、子供に高圧的な大人が嫌いなんですけど…ある日、電車乗ってたら…たかしこが…あんな歌を歌っときながらめちゃくちゃ子供に冷たい、とかね笑 もう、赤ちゃんが泣いてたら、めちゃくちゃ不機嫌そうに舌打ちするとか笑(実際はそんなことありません)

ーはっはっはっ!

カワノ まぁ、「赤ちゃんに優しくしよう!」って歌は俺の曲にはないけど、ね笑 でも、これもさぁ、もしかしたら全くない話じゃないじゃん。あいつ、子供に冷たそうな顔してるし、なんなら誘拐とかやってそうだし。売人みたいな顔してるじゃん、なんか。

ー言いすぎだろ笑

カワノ で、もしこれが、「たかしこよ、コーラスは一体感! 心を一個に!」でこれまでやっとったらさ、俺の心のありようからは乖離しちゃってて…俺はもう、最悪なの笑 大激怒よ笑 そんな精神性でコーラス入れるんじゃねぇ!っていう。…それとか、たかしこが俺の嫌いなユーチューバーが好き、とか、もしかしたらそういう些細なことも気に触る日もあるかもしれない。…あいつばっか生贄にして申し訳ないけど…その、一体になることや、歌に気迫を込めることを追求し出すと、そういういろんなことが許せなくなるんだよね。自分の信念みたいなところから、ショッボイこだわりみたいな部分まで、自身の思う姿と反する人間が、歌うことが許せなくなってきちゃう、というか。それが、ちょっと怖いっすよね。

ーうんうん。

カワノ お客さんにもそうでさ。「CRYAMYを聴いてる人は、こんな人間でなくちゃダメだ!」とか、「明らかに黒い物でもカワノが白、っていうんだ、だから俺たち私たちも白って言わなきゃ」って、そんなのは望んじゃいないわけよ。もし、俺がそこまで望んでしまうようなことがあるのであれば、そうなるとまた話は戻るが、歌のテーマに殉じることを他者に強制することには結局なる、というか。それは嫌だし…奇妙な話じゃん、そんなの。宗教じゃあるまいし。俺たちはお客さんも含めて、一致団結! ってやってるわけではないし、精神性の部分を共有しているわけではないし、そこに厳密に同調しろ、っていう願いも俺が持ってないし、そうさせてない…。そんなんだったらさ、俺がわざわざ生い立ちも年齢も性別も違ういろんなひとたちがつどうフロアに向かって歌うことも、同様に、他のいろんな技術を持っている人の力を借りて音を出すことも、やる意味がないとも思うし。

歌の世界で「これは俺の心だ」って一線を引いてるからこそ、最悪、みんなとどっかで一個一個ソリが合わなくても…俺はいいと思ってるわけ。さっきのは嘘の例えだけどさ…仮に、たかしこがマジで子供を鬱陶しがってたとしても、それはもういいし、しょうがないわけよ笑 別にメッセージを発してるのは俺で、重みを背負ってるのは俺な訳だから、みんなは…もはやどうでもいい、っていうか。もう、逆に、たかしこがユーチューバーになっても…嫌だけど、いいよ…笑 楽器ちゃんとしっかり演奏してくれたらオッケーで。お客さんも、来て我々の演奏を見て、聴いてくれるだけでいい。

そもそも、メンバーもスタッフも、あの人たちは俺の書いてる歌詞とか、どういう精神性で歌っているのか、曲を作っているのか、とか、興味が昔からないし。ただ楽器弾くのが楽しい人たちとか、ただいい音を作ることが仕事の人たちの集まり、ってだけで。もう、この時点で何も一丸とやってないから笑 自分に与えられたフレーズを弾くとか、ライブに備えて練習をするとか、音を作って準備をするとか、目の前で自分がやらなくてはいけない仕事を遂行するだけ、っていう。ある意味ストイックで、だけど、いい意味で誰も責任感がない。それがいいんだよね。俺がその、魂的な部分はみんなには背負わせていない状態。…結果、これが一番俺もストレスなくやれるし、バランスがいいんじゃないかな、って思ってるし。

ーなるほどね。

カワノ 反対にさ、他3人やスタッフは俺に対して「お前、それはマジでやめてくれ」みたいなこと、これまでも今も、たくさんあると思うのね。人付き合いも嫌いだし、愛想もないしさ。人間性も終わってるから、人からも嫌われまくるわけだし。今は表面上すごく穏やかではあるけど、そこも結局は魑魅魍魎の世界ですから。いろんな輩と会う中で、穏やかではない神経に陥ることになる局面もあるわけで。

…音楽の領域でも、それはそうで。他3人のメンバーは、多分こんなアルバムになると思わずに新曲を待ってただろうし、いざ出来上がって、聴かされて、狼狽えて、やらされてる間も嫌だったと思うわけよ。アメリカにも連れ回されてさ。スタッフも、これをライブで、ってなると、そもそものマイクのチョイスからセッティングからやり直しでさ。

ーうんうん。

カワノ でも、みんなはため息ついたり、飲み屋で俺の陰口叩きながら、でも、それに対してはサボったり咎めないで、ただ仕事をこなしてくれてるわけじゃない。無理に俺の元に縛ってるわけでもないんだけどさ。…まぁ、事実だけ述べれば、お金を払って、仕事をしてもらって、っていうドライな部分ももちろん切り離せないけど…それ以上に、それぞれが俺も含め、互いに譲歩はしつつだけど、誰に縛られるでもなく、自分に従って、自分に与えられた役割を全うしてる、っていう。絆とか、そういう綺麗なもんじゃないにしろ、男の付き合いで成り立ってる感じ。

まぁ、結局、互いに、思うままにやることを許しあってるのかもしれんね。…で、まぁ、その上で…これだけは譲れないというものが俺にはあって。…コーラス云々もそうだけど、他にもね…音がどうだ、態度がどうだ、って色々、わがままは言うけど…。でも、まぁ、どれだけ身内でも、ある一線を引いたら、必要以上に…過剰に望みすぎないし、背負わせすぎない、期待しない、ってことだな。

ーなるほどねぇ。でも、お前もそういう同調とか一丸とかをメンバーやスタッフ、もっと言えばお客さんにも求めてないだろうけど、それはみてる側も求めてないっていうか。…少なくとも俺は四人が四人、好きにやってるのが、俺もみんなも想像するCRYAMYなのかな、って。

俺は嵐がギスってたり、ストイックになりすぎてシリアスになってたらクソ嫌だけど、お前らに関しては、別に…とっ散らかってようがまとまってようが、通常運転だから。そこは大して重要ではない笑 各々ぶつかってるのが、俺も、バンドっぽい…ちょっと古い、不良がロックやってた時代のバンドのイメージ。

カワノ そう。…結局、そうやってバラけることで4名のプレイの一個一個や、他のスタッフたち、…ビデオやアートワーク、グッズとか、そういうのも含めて、それぞれの感情や思考の発露が、それぞれの干渉しないところでデカく存在するわけでさ。それがかっこいいと思ってて。…一本槍になるカタさもあるけど、それぞれが役目を負ってぶつかりながら動くっていうカタさもある。

…で…これ、なんの話だっけ…?

ーコーラスを珍しくメンバーが背負ってるな、って。そうはいうけど、みんなで歌を歌っているじゃん。

カワノ あぁ、そうだ。…まぁ、その、色々言ったけど、一方では…ここまで理屈を捏ねておいて、すごい単純だけど笑 この作品においては…そういうこだわりとか厳格なところを崩して、…別に強固な理由はないけど、みんな、歌うか、って。自然と、ね。…その、まだやっぱ、ちょっと、って気分もないわけではなかったけど、シカゴに、スタッフみんなも含めて、来たんだぞ、ていう証拠をね、残したかった。声ってすごく人の存在を表すものだし、シカゴにももう滅多に来れるところではないしさ。

多分、その、意識の問題だけど、詞を届ける、っていうよりは、アルバム全体を通して、いろんな人が存在して出来上がった、って、そういう息遣いを…なぜこの曲か、って、これも理由はないけど、この曲に残したかった。…なんか偶然にも、みんなんで「ここで」ってコーラスしてるけど、うん…なんか、まさに「ここで」って感じ。本当に、キワキワのバランスで進んできた四名の人間が、ここシカゴまで! って、これは偶然だけど、そう思うことに…今、した!

ーははは笑

カワノ ふふ笑 …シカゴにまで渡った理由は、勢いや賭けもまぁあるけどさ、何より自分のベストを尽くすこと、自分の足跡を音で残すこと…もっと言えば、単純にでかいことを成し遂げることが、本質を辿ればこのレコーディングにおいては一番重い、って、俺は思ってるのね。まぁ、みんながそこまで考えてはいなくても、俺はそれ、大事だし…メンバーもスタッフもね、こう、何かを残していってほしかった、ていう、我儘…ですね。

まぁ、あとは…知らん笑 みんながそれぞれベストを尽くしていた、というだけで。何を思ったか、何を感じたか、とかは…どうでもいい笑 ドライに聞こえるし、バンド幻想・共同体幻想をぶっ壊すようで悪いけど、はなから我々は、そういうバンドだからね、コレは。

ーコレって笑

カワノ まぁ、でも、そういう…非常に奇妙な集まりだけどさ、こういうアルバムは、だからこそできたのかな、ってね。…という、人と一線を引く、という話を散々したあとですが、この曲は紛れもなく、その一線を超えて誰かに向かって歌ってるんだけどね笑 ひどく矛盾をしている。

ーははは笑

カワノ 今に始まった事ではないがね笑

ー…この曲は、作詞に変化を感じるなぁ。あまりこれまでなかった表現があるというか。

カワノ そう?

ーこれから先の喪失を避ける努力、っていうのかな。…でも、中には努力も通り越してすごく強烈な言葉も使ってるけど。こういう曲なのにところどころではお前の露悪的なところが抜けきってない笑

カワノ ふふふ笑

ーでも、綺麗な景色と、内面の毒っ気が交互に映るけど、それはそれで、この歌の中にある愛情と、その覚悟の表れでもあると思えるから、アルバムの前半のような胸焼けする気分にはならないんだけどさ。

カワノ この歌は攻撃する対象に向かって吠えてないからねぇ。…例えが難しいけど、そうだね…。今まさに、巨大隕石が落ちてきてるとしよう、日本に。

ーあぁ、出たよ、カワノ・隕石論笑(カワノは極端な状況を例える時に確実に隕石が日本に落ちてきているのでそう呼ばれるようになった)

カワノ 笑 …で、前半の歌は、こう、その、降ってきている隕石にですね、「野郎! ぶっ壊してやる!」と、まぁ、力の限り迎撃するような、…で、ミサイルがのうなって(無くなって)茫然自失な感じ笑 一方で、こいつは、怯える家族に…その、防衛にあたってる俺がですね、「お父さんが死んでもお前らを守るぞ!」っていう、なんか、そんなイメージ笑 強い言葉があるけど、その、ニュアンスとしては「死んでも」っていう、そういう言葉を使うイメージですわ。

ーあぁ、なるほどねぇ。完全に「アルマゲドン」もどきだけど、わかりやすい笑

カワノ まぁ、物事をそうやって切羽詰まった状況でしか考えられない俺もおかしいのかもせんけどな…。

ー笑 でも、サビでは綺麗なコーラスと一緒に、一個一個、自分の美徳を並べて、それを捧げてる。…俺が思うにさ、カワノの歌詞は喪失している状態がベースというか…。ある意味徹底してるじゃん。

カワノ あぁ、そうかもねぇ。何かを獲得したとか、そういう喜びはあんまりそういうのは歌になっていかない。だし…いるか?そういう歌、って、思う。

ーうん。お前はそういうのを歌にする必要がない、と思ってるんだろうけど。「WASTAR」ですら、結局あれも、何かをうしなった人間のラブソングで。でも、この曲は、喪失に至る手前の視界を歌ってるよね。今ある大事なものや人を失わないために、できるだけのことをする、って歌詞。ラブソング。襲ってくる喪失に、恐ろしくて足がすくんでいるのではなく、むしろ、一歩前に出て失わないように身をやつす姿がある。

カワノ ああ、それはもう、今の俺が腹決めてやってることの表れだと思うっすよ。やっぱ、昔だったら喪失に対してどうしようもできなかった自分だったと思うんすよね。ぶっ壊れるものをただ見るしかできなかった自分。危機が迫っても狼狽えているしかなかった自分。

でも、今の俺は…冒頭に話したみたいに、時間軸がぶっ飛んで、今現在を生きている自分には、もうそんなに時間が残っていない。言葉をいじくり回して遠回しにして書いてる時間も、安全な場所を探したり作ったりする時間も、メソメソして味方を作ってる時間も、…もうなんもかんもないっすから。俺の体と、心と、歌しかない。俺が君に捧げられるもんは、もはや自分自身そのものしかないんだよね、という。

…あの、変な話ね、俺、これまでもずっと必死こいてやってきたけど、やっとっすね、こう、ここまでストレートになってる状態。…みんなからしたら、変な曲ばっかのアルバムかもしれないけど笑 …俺は今、すげぇ自分で真っ直ぐだと思ってる。…まぁ、その、世間一般の人が思う、ストレートで、王道で、素直で、…ってのとは、絶対違うんだけど。…そうっすね、仮に俺の真っ直ぐが、歪んでるとしたら、…俺はこれ、真っ当に自分の意志で歪めたんで。迷いなく、真っ直ぐ歪んだ、ええ。それは確実に言えるから。…そしてそれは、形はどうであれ、めっちゃ真っ直ぐじゃん、って…。

…やばいね、普通に言葉にしたらめっちゃイタくない? 大丈夫?笑

ーはっはっはっ!笑 ここまでぶつくさ小難しいこと言いくさっとったのに、って?笑

カワノ …マジで、音楽あってよかったっすわ〜! いや、これ、やばかったっすね、こういう気持ちを、曲にしてなかったら笑 素面でこれ、普通に恥ずいっすわ、急に笑

ー笑

カワノ もはや隕石、落ちてほしい笑

ーもういいって隕石は笑

カワノ ふふ笑

ーでも、そういう真っ直ぐなエネルギーっていうのは、…ぶっちゃけ、形はまぁ〜非常に、歪んでるけど笑 でも、形ではない、精神のストレートさは伝わってるよ。伝わってるし、特にこの曲はそれが、歌の形にも綺麗なメロディーの質感として表れていて、単純に綺麗な曲だと思うし。

カワノ …そっか!

ー前半の流れを聴いた時は、失礼ながら、めちゃくちゃ不安だったわけよ、正直笑 でも、アルバムを通しで聴いていって、この曲が流れたときに、その、お前のいうストレートさみたいなものは、俺も感じ取れた気がしたんだよね。…この曲聴き終わってようやく、「シカゴ、いって良かった!」みたいな笑

カワノ ふふふ笑

…この間、改めて録音が終わってから新曲聴いてみたんだけど…その時、すごいこう、清々しい気分というか。こういうアルバムを作って戻ってきたこと、自分のこれまでに区切りのついた感触、…なんかこう、しみじみきてて。スタッフからも、…みんな俺に会うと大体みんな嫌そうな顔するんだけど笑 なんかね、「見たことないくらい穏やかな顔してたなぁ」って言われて。この一連の制作を経て、自分の中にくっついてた重たいものが落っこちたんだろうね。

ーうんうん。

カワノ …やっぱねぇ、今になって思うのよ、俺はシカゴで本当に得難い時間を過ごして…これから先、音楽を続けてもああいう瞬間っていうのは訪れることはないだろうな、って。あそこが俺への…バンドを続けてきてから唯一のご褒美で、折り返しだったんだ、って。…まぁ、シカゴ、行ってよかったよ、本当に笑

ーいやぁ、本当にいいもん作ってきたよ。

カワノ …まぁ、この曲は、歌物っぽくなって、聴きやすくなって、サウンドが穏やかで…っていうけど、結局最後は大きな声で絶叫するけどね笑

ー笑

カワノ これしかできなくて笑 これぐらいやんなくちゃ、お前らどうせ伝わらないだろ、って笑

ーいや、でも、それがいいのよ。それこそ、サウンドの回帰による安心とかとは全く矛盾するけど、もはやこの絶叫でも、俺は「ああ、カワノにやっと会えたな」って気持ちになるというか。

カワノ う〜ん、この時何考えてたんだろう…。大きな声を出して気持ちよくなりたかったのもあるだろうし、何か胸に熱いものがあったのかもしれないし…。忘れちゃったけど。でもまぁ、おっきな声で叫んできたからね、これまでもずっとさ笑 …もうこれが、みんなにとっての俺の姿になってるのかもなぁ。

自分で作った歌や、それを大声で叫ぶ姿は…何もかも自分で受け入れて、引き受けて煮詰めて作り上げたもんではあるんだけど…それが、いろんな理由で自分だけの世界を飛び越して、誰かに届いて、残って…。さっきは、ワガママな自分のことばっか話しちゃったけど、ひょっとしたら、誰かの中に自分の姿を残せるっていうのは幸せなことだよね。それがさ、こう、長く生きてくると、そういうものは死ぬほど鬱陶しかったり、悪い理解者やくだらない仲間を呼び寄せてしまうこともあるけど…うん、もはやそれでもいいのかもね、そういう姿も、誰かの中に得られたんなら、嫌なことも、我慢できる。

…同じようにさ、ある意味、この歌も、俺から見たそういう誰かの姿に向かって歌ってるのかもしれないね。俺が獲得してきた誰かの姿。難しい話をたくさんしたり、ありえもしない約束をした人たち。一人一人、浮かぶんだよね。なくしてはいけない人たち。

ー…20歳超えたくらいから、ふっといなくなる連中も増えたしなぁ。

カワノ 本当にそうだね。…これからは、逃げ切った中年や老人は長生きするだろうけど、悩める若者はいとも簡単に死んでいく時代に入ったって、俺は大袈裟じゃなくそう思ってる。…でも、そういうふうに過ぎ去った人たちを思えば、眼球には彼ら・彼女らの姿も残ってる。

…さっき、喪失に抗う、って話をしてくれたけどさ、それは今生きている人たちだけに限ったことじゃないのかもしれない。とっくにいなくなった人たちの…俺の中に残ってる姿。まぁ、生きているうちに、何かしてやれたらよかったんだけどさ。できなかったから、俺たち。

ー…久々にお墓参りに行きたくなってきたよ。

カワノ …一緒に行く?笑

ー笑

カワノ 来年の夏くらいに笑 あっち〜ぞ〜! …でも、お墓参りで思ったけど、極端な話、俺たちは手放すことはたくさんあっても、失うものってないのかもしれんな。自分から手放さない限り、誰かの姿は、何か思い出の景色は心に残り続ける…失うことはないんだよね。お墓が残って、そこに誰かが足を運ぶみたいにこうやって歌にもなっていく。で、その歌にまた誰かが訪れる…。

…今思ったけどさ、こうやって歌にしていること、すごく大袈裟に聴こえるかもしれないけど…逆にさ、ある人が誰かから手放されないために、君のために力を尽くすよ、って、ただそれだけの歌なのかもね。何もできなくても。で、それで全然、いいしね。

ーうんうん。

カワノ それは、繰り返しの話になっちゃってるかもだけど、誰かのために力を!って心の動きの先の話だな。…結果、最後は何にもできずとも、誰もが無力でもいい…無力なままでも孤独ではなくなってほしい、っていうか。さっき、「待月」で、過程ではなく結果を問う、っていう、そういうメッセージの話をしたけど、一個、結果として何かを成す、の反対…「何も成せなかったということ」もまた俺にとっては大切な結果というか…そういうことを歌っているんだよね。ってか、…もはや、無力故の、って言うかね。無力だから、いずれ訪れる喪失を恐れるのかもね、人は。

ー何を成したか、っていうことを問うことは重いし、大事ではあるけど、一方では、何も成し遂げられなかったということそれ自体にも重みは存在する、と。

カワノ うん、そう。すげぇ難しいよ。矛盾してる、って言われるかもだけど、この問答は「結果」から目を背けないための、「結果」を問う上での矛盾を生まないための物でね。どちらも見つめる、っていう。そりゃね、「無力」を「無力」のままで終わらせて、一側面で切って捨てれば楽ではあるだろうけれど、決してそうじゃないっつうかね。その、何も産まなかったということ自体も「結末」ではあるわけでさ。…うまく伝わるかわからんが、「姿勢とか過程を評価しろ」みたいなのはファックと思ってるけど、その、最後ね…、最後、結末としてあるものは、何が残ろうが残らまいが、同じ地平で見る、っていう…。あぁ、まぁ、難しいこと言ってるから、わからなくても、いいけど笑

ーいや、わかってるから大丈夫だよ笑 でも、反対にさ、カワノ自身はこのアルバムで自らたくさんのものを手放していってるし、自分でも、「記憶に残ろうとか思ってない」って言い切ってるじゃん。もはや意識的に自分を蔑ろにする、っていう。他人のためにできる限りの力は尽くすけど、肝心の自分は大事にされる対象にカウントされてない。自分のすることに関してはすごく厳しいジャッジを下している一方で、自分自身の安定とか喜びは…ひょっとしたら意識的になのかもしれないけど…蔑ろにしてしまっている。それはどう思ってるの、自分で。

カワノ …まぁ…俺は自分のことはどうでもいいんだよね、自分がどうなろうが笑 これはあくまで俺から見た誰かへの行為、ってフォーカスの仕方で、そういう、喪失を恐れるっていう風情も、どこまで行っても自分の視界からの話でしかない。なので、対象が自分自身位は向いてないし、自分が損なわれようが知ったこっちゃない、っつう。…だから、自分の瞳ではどう頑張って自分を見ようと思っても不可能なように、自分を対象に入れてないんだよね。これはもう、正直に言い切っちゃうけど。

ーそっか…。

カワノ まぁ、その、みっともない、と思ってるんだよね。「俺のこと大事にしてくれよ〜!」みたいなの笑 それをする人のことを否定する気もないし、そういう人を見た時にクソだ、とは思わんけど、自分でそうなっちゃってる自分を想像したら、そういう姿で生きてるのはみっともないし、それは格好がつかないなぁと思うというか。そうしたいんだったら、こうやってわざわざ人に聴かせる形で世に出す意味がわからない。

ーなるほどな。誰かに大事にされるために歌ってるわけではない、と。

カワノ でも、だからこそ良いわけじゃん。その…「自分を大事にする」って意味合いとは全く違うけど、「街月」でさ、自分に対して慰め歌うこと、っていう話をしたけど…その、この歌は、歌を向ける対象に自分を含んでいない感情だから、歌詞はどこまでも純で、実際であると思ってるんだよ。自分を対象にしてしまうことで生じる、例えば、狡い感情とか、卑劣さとか…どうしても己から湧くものを落とし込む余地がないから。そうやって、この歌は、自分がぽっかりと抜け落ちることに成功したから大きな意味を持ってるんだよね。

ーでも、自分に向かって歌う、自分のために歌う、って側面が完全に抜け落ちるのは歌い手としてどうなのか、って思っちゃうけどね。ある意味じゃ不自然とすら思うけど。

カワノ うん。だからこそ、次に自分が自分を見つめる、歌える「天国」を置いたんだよ。ラスト2曲…「人々よ」を歌って、一番最後はちゃんと俺の歌で「世界」を叫びきらないといけないから。だから、「天国」、歌うんだよ。自分めがけて。俺もお前も、含めてだ、っていう。

だからまぁ、いいわけさ。この曲は、俺から誰かへ、に終始することは。最後、本当に美しい世界というものを歌うためには…俺はまず身も心も、そいつに向かって捧げることを約束せんといかんのだからね。

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9.天国

暴力的なノイズギターが柔らかい歌声を、かき消してもいるし、包んでいるようでもある。諦めを含んだメロディが、事実として迫るようでもあるし、幻想と理想を呼び起こすようでもある。

アルバムの最終盤に高らかに鳴らされる「天国」と銘打たれたこの曲は、決して幸福な空間へ誰かを導くものではないようだ。ありのままの、醜く苦痛を伴う実感を、その実感のまま抱えて生きること、それと嫌でも付き合っていくこと、続いていくことをただ突きつけていく。

しかし、「あなたが何かを信じるのを見てみたいよ」という最後の一節があるように、最後の一滴、わずかな体温を灯す。自分の信じるものを、ある意味では冷たくどこまでも押し通したこのアルバムだが、裏を返せば、信じることで理想を諦めなかったどこまでも熱い情熱をもって終わりへと向かっていく。

現実が天国ならば、理想を歌う必要も、苦しみを描く必要もない。どこまで行っても苦しいから、この歌は生まれたし、歌われたし、ここまで美しく響くのだろう。

______________

ーとにかくギターがでかい!笑

カワノ でかい!笑 爆音だった。

ーでもシューゲイザーっぽくない。あれは所謂「ギターの壁」って表現だけど、そうじゃない、っていうか。きちんと演奏に余白が残った状態で大きな音が鳴ってる。一本の存在感がでかく聴こえる。

カワノ そうだね。全曲、そういうシューゲイザーとかオルタナみたいに、ギターは重ねてないでLRに各一本ずつだから、ちゃんと一個一個のギターが見えやすいというか。で、空間系とか、モジュレーションもかましてない。エフェクトで埋まった感じやギターが折り重なった末のデカさや轟音ではない。使ったエフェクターもライブと同じですごくシンプルで、すごく生々しいかもね。基本はアンプのボリュームをフルアップした歪みと、俺はシンプルなディストーション一発だけ…あと…この曲だけレイのギターはエフェクター借りたわ、そういや。エレクトリカルオーディオにあった超オールドビッグマフ。それの太い歪み。一本の存在感とか、届き方の明確さでのビッグサウンドを目指したな、この曲に限らず、だけど。

ーこの曲はデモとして昔からあった曲だよね。歌詞の変遷がすごくあった。

カワノ あぁ!そうそう! だから、これはまぁまぁ古いのか、曲としては。

ーその、温めていた曲を満を辞してバンドサウンドに着手、って感じか。

カワノ うん。で、結局こういうアレンジになった。すごいストレートな。

ー「月面旅行」以降なかったもんな、こういうミドルバラードというか、メロディがコッテリした感じの。あっちよりもパンクっぽいアレンジではないけど。

カワノ 「完璧な国」とかね。まぁ、意図して避けていた作りではあるかも。ああいう、フォーク軸の、メロディ一本、みたいな大味な感じ。どれも似たような感じになっちゃうことが多いから、編曲上の脳みそで考えたらあんまり好きではなくて笑 

でも、これはリズム的にはもうちょっとヘビーな感じだし、少し風情は違うかもな。ギターもカウンターのメロディを打つ、ってフレーズは少ないし。最後なんか、ギターソロからアウトロまで2~3分ずっとファズを踏みっぱなしてノイズの洪水で進んでるしね。なんか、抵抗を感じる笑 俺の、歌物にしてたまるか、という、ささやかな笑

ーあとイントロのギター、いいよね。

カワノ 乾きまくってるよね。もうこのワンフレーズをとるためだけにアメリカに行ったかのような渇きっぷり笑 これ、プリプロの時点でとれ音良くてさ。スタッフみんなが「これはプリプロもリリースしたほうがいい!」とか言ってて笑 「やだよ! 俺、結構適当に歌ってるし!」って笑 結局、このご時世だから、CD買ってくれた人におまけするか、って特典で流すことにしたんだけどさ。

ーこのイントロ、レッチリみたいな音してるよ笑 パリッパリ。

カワノ あっちは西海岸だけどね笑 俺らは中部サウンド笑 レッチリはあんまり意識しなかったな。…ぶっちゃけくるりだわ、「東京」。

ーあぁ〜! 言われてみれば笑

カワノ the pillowsの「ストレンジカメレオン」とか、GRAPEVINEの「光について」とか、もう、the名曲…。…バラードはあんまり好きじゃない、って言ったけど、俺、多分こういうメロディを作るのが一番得意なんだろうな。自分で言うのもなんだけど、いいよね!笑

ーこれ、俺も一番好きだな。

カワノ あぁ、そう。

ーうん。これの、サビ…。染みるんだよな。結構もののいい方としてはめちゃくちゃ鋭角なんだけど、なんでだろう…メロディのせいかな。大昔の曲、って言うけど、このアルバムの主題を客観的に、一番鋭く指摘してる。けど旋律はこの上なく暖かい、というか。

カワノ …。

ーなんで黙るの笑

カワノ いや、この曲、…自分としてはね、あんまりいうことないし…。あと、シンプルに疲れてきた…、今日、長いし笑

ーおい!笑

カワノ いやぁ、まぁ、…てへっ、って感じ笑

ーまぁ、お前が照れるのも仕方ないよな、古い曲だし、歌詞も…。

カワノ そうねぇ、歌詞…。うん…。(所在なさげに沈黙する)…いや、成長してねぇなと思って笑 二十歳そこそこの頃から、どこにもいけてない感。

ー笑

カワノ なんだよ笑

ーいや、でも俺はこの曲好きだよ。ある意味、このアルバムで一番お前を近くに感じる。

カワノ あぁ、そう。

ーうん。お前のこういうパーソナルな歌詞って、ちょっとダサい言い方けど、「あなたと私の世界」をマクロに捉えるかミクロに捉えるかの違いでしかないじゃない。で、「セカイ系」よりも、ポップではない。もうちょい老けてて、生々しくて、綺麗ではないし、哀愁が相まって情けない感じ。まぁ、それが極論すぎるにしても、どんな曲もその要素がある。

カワノ うん。そうだね。

ー巨大な空間めがけて何かを投げかける歌でも、大きな枠線で括って狭い事象や誰かをとらえていない…絶妙なラインを行き来して完結させてるからこそ、押し付けがましくないんだけどさ。でも、この歌は…近いようで少しだけ違う次元というか。で、その、さっき、この曲は自分に歌っている、って言ってたように、確かに「あなた」も「私」も、全部がお前に跳ね返ってる感じがするというか。だから、なんとなくだけど、作曲者の存在が近いふうに感じる。

カワノ へぇ。それ、俺がこれは自分に歌ってるよ、っていう前からわかった?

ーうん。…いや、言わずとも普通にわかるんじゃない? みんな。情景描写というか、そういうのは多いから決して説明的ではないけど、詩に心情とか願望が滲んでいる。それこそさっき出た「月面旅行」や「完璧な国」に近い。…やっぱ、なんのかんのといっても、カワノは曲が全部歌詞先だから、詩に影響を受けて曲は出来上がってるよね。

カワノ そうか。

ー…まぁ、俺はね、特に、…「あぁ、こういうこともあったねぇ」って、わかるんだけど笑 一番もそうだけど、二番以降の歌詞はモロじゃない? ギターを弾くのもお前、いざこざに巻き込まれてボコボコにされたのもお前、で、一気にやさぐれるのもお前笑

カワノ …まぁあなたはよくご存知か笑 メソメソしてた頃の僕をご存じですから笑

ーロックミュージシャンになるとは思ってなかったですけど笑

カワノ ロックミュージシャンて! 言い方よ笑

ー俺はお前、詩人とか作家になると思ってたんだけどね。まさかそこに音楽乗っかるとは思わなかったけど。

カワノ 結局シャバい方に行きましたわ、ええ笑

ーいやいや笑 …でも、それは確かに、古くに作った曲っていうのもあって、お前が今作では避けた…以前は繰り返してきた「過去の再翻訳」に近いやり方ではあるんだけど、この曲は、ある出来事やある他者ベースではない…自分を自分で見つめているって捉え方でみてる感じがするんだよね。ありそうで、あまりないじゃん、君の曲で。

カワノ あぁ、そうだねぇ。なんかには歌ってるし、何かに歌うために曲作ってる、みたいなやつだからね。わたし。

ーで、ある地点から振り返ってるようで、今の自分であり、それが時間が経って、未来の、今現在のお前にもピタッと一致したというか。だから、ある意味、過去の焼き直しなようで最後はそうならなかった。時間軸を問わずに普遍的に当てはまったというか。だからなのか…なんとも説明できない説得力があるというかね。

カワノ お恥ずかしい。まぁ、そんなに大層な歌詞を書いたつもりではないけど笑 それに、このアルバムのテーマに当てはまらないんなら、俺、多分容赦なくボツにしてたしね、この曲。今言ってくれたみたいに、不思議と今の自分にピタッとハマったというか、もしくは、当時から実は俺の進歩がないまま停滞していたのか笑

まぁ、でも、それは単純に、これまでにさ、いろんなことを歌にしてきたから…自分の歌が尽きていって、だからこそこの曲で歌っていることにフォーカスがより絞られて当たるようになったかな、とは、思いますね、ええ。

結局は、いろんなものが尽きていった果ては、手っ取り早い、自分のことに手を出して、って。…まぁ、もう、自分のことも、他人のことも、そこまで多くのこと…歌にできることが残っていないからこそ…歌に迷いがない、っていうか。…我ながら男らしいよね。もう、最後は切腹ですよ笑

ーでもいいのが、ここまで徹頭徹尾、自分を曝け出しながら、他人や外の世界に向かって吠えていた男が、最後、このアルバムを締めくくるにあたって…結論を最後、述べるに至るために、終盤で自分に向かって牙を剥くというのが…自分に向き合うことで答えを持ってこようとしている様子がね、なんか…距離感の取り方がちょっとだけ近くって、…グッとくるんだよね…。…いい!笑

カワノ ははは笑

ーあとギターがマジででかいのもいい笑 お前、恥ずかしいからギター上げただろ? 歌、かき消してやる!って。

カワノ いやいや!そこまでは考えてない笑 ギターの音がよくとれたから、スティーブとは「Good!」って盛り上がったけど。そっか、でかいか…。

ーあ、そう。でも、そっちの方がかっこいいから、それで行こう! 逸話としてありだから!

カワノ なんでだよ笑

ー笑 …「ウソでも〜」が喪失への抵抗だとしたら、この「天国」は、できる限り努めた結果、最後は喪失した後の人間の姿そのものというか。…まぁ、結局、何もかも開示した末の自分に向き合ったらそういう姿でしたよ、って歌っている、っていうところが、まぁ、良くも悪くも「らしさ」だとは思うけど。

カワノ これねぇ、この2曲、順番迷ったんだよね、だから。嘘こいてでも、喪失→抗いの流れの方がお話としても綺麗だし…多分この二曲をひっくり返した方が、そもそも「天国」は喪失の歌には、おそらくリスナーには聴こえないから、なんのかんのと救いのあるアルバムにはなったであろうけど…まぁ、残念ながらそうじゃないんで、人生は。…負けるからね、最後はね。どんなに頑張っても。少なくとも俺は。負けても人生は続くし。

ーでも一曲目のさ、「弱者のまんま自殺しろ」とは対極のメッセージじゃん。痛んでも、それでも生きることを諦めないで、って呼びかけ。だから、そう吐き捨ててたお前が最後にはこういう曲を歌うことは、ちゃんと救いはあると思うし、より現実や実存に即してるから、わずかには希望は残ってると思うけどなぁ。

カワノ …。

ー…まぁ、そこじゃないってことかもしれないけどさ。

カワノ うん。意味合いがいとも簡単に反転して「生きる」を語るわけではないんだよね。この歌単体で抜き出して、何もかも理想通りで丸く収まるのならば…この作品の歌は必要ないわけでさ。結局は愚かで惨めなままでもあるが、生きていくことだ、というか。俺の中の筋書きはそれで。

…なんでしょうね、その状態が変わらないまま、ここまでの残酷な歌たちがあった上で、それでも「生きる」を歌ってるんだよ、「天国」は。…難しいけれど、このアルバムは最初から最後まで、ハッピーなエンディングが迎えてくれること前提のトラッキングではない。

最後まで地続きのまま混乱し続けていくだけ、混乱し続けることこそ「生きる」ことである、っていう。…むしろ大事なのは、その中で、願いや理想を捨てない、ってことかなぁ。辛い事実に向き合わなくては、願うことすらできんわけで。まぁ、向き合った末に、そういう生涯でも、いつか何か信じれるものを見つけてほしい、っていう願いをこめて歌うんだけどさ。…う〜ん、難しいね。ですから、このアルバムは、最後まで混乱したまま暮らすことを選ばせるっていう。

ーなるほど。

カワノ 「自殺するぞ!」って、やけになりながらも、仕方なしでも、ありのままでいながら生き続ける、という。…それにいずれ終わりは来るから、そりゃ最後は力尽きること前提だけど…っていうね。その上で夢を見る。し、俺はそいつの幸福を願う、という。

ーでも、まぁ、そうか。…冒頭にも出たように、しっかりと世界を見つめる・対峙することを話してたし、その上でのお前なりの解釈になるけど…絶対的に世界とは確実な救いはない。だけど、その中でも理想を歌うことをやめない、っていうことが、最後にこの歌で伝えるメッセージだと。

カワノ うん。迷ったり混乱したまま続いていく…そのまま続くからこそ、理想を歌うこと…。理想を歌うことはだからこそ大事で…。

 

(長考する)

ー…。

カワノ あぁ、俺、すごい大事なことを…今、言わんとしている笑 

…あの、俺さ、これは…その、俺、昔から、ずっと、同じ気持ちで、強く思ってることがあって…。…っていうのは、生きることが苦痛じゃないと、俺は歌を聴くことも、自分で歌なんか作らなかったとすら思うわけよ。

ーうん。

カワノ 別に思考を押し付ける訳ではないけどさ…。いいんだよ、どんなふうに歌を聴いても。楽しく聴いてもいいし、ジャケット買いして収集物として集めても、もはや聴く行為自体ステータスのために使ってすらいい。…コロナ禍が明けた今物議になることもあったけどさ、ライブハウスで友達と騒いだり歌ったり、暴れるために聴いてもいいのよ。…CRYAMYのフロアはずっとお葬式みたいだけどさ笑 それも俺、全然、良くって。俺はあらゆる可能性は許容されててほしいんだよ、マジで。

だけど、少なくとも俺にとって音楽は、ちょっと深刻で重たい意味を持ってることが多かった。幼かった自分が、親父の小さな書斎から引っ張り出して聴いていたたくさんの音楽は、やるせない現状とか、苦しい実際とか、そういうものと付き合っていく上で必要なものだった。…そういう認識とか、そういう状況で音楽に触れた時の実際の感動とか…それが出発点でさ。

…だし、その上で、じゃあ、自分でわざわざ歌を歌うということは、感情表現とか、快楽とか、汚い側面だと見栄とか、格好つけ・カマシとか、…なんでもいいけど、そういうものも逃れられずに俺の中にもあるけれど…一番は理想の追求だった。目の前にある視界や、自分の経験や体感ををどう変えたいのか、どうであるべきなのか、逆に歌に乗っけて他人に何を体験させるのか、そういうことを歌ったものだった。そういう風に歌いたいから生まれた。…で、結局それは、ことごとく全て敗北するわけだけど。

…でも、だからこそだよ、っていうね。傷付けられたり、負けたりするから歌ってる、ってことだと思うんだよね。現実が歪んでなければ…現実が自分にとってより良い場所であれば、俺の歌は生まれる必要がなかったとすら思う、最初から。理想を歌う必要があるのは、現実が地獄だから。許せんから。悔しいから。悲しいから…。

…「天国」ってタイトルは、そういうこと。この歌で歌われていることはむしろ悲しい。だから、「天国」があればいいのにな、っていうこと。…長くなっちゃったけど、う〜ん、そうだね…「お前は苦しみの中で、そして限りある時間の中で歌っていくんだよ」っていう、それを、昔の自分と今の俺が互いに言い合ってるような…。でも、「その中で理想を捨てないでね」って。そして、それを、人にも伝えられるのが、音楽である、と。

ーなるほど。

カワノ …っていう歌です。これ。…締まりのない話だったが笑

ーそんなことないでしょ。漠然と、何かいいことがあるよ、って理由なく歌われていないことがわかるし。ちゃんと苦しみがあることを、目を背けないどころか提示している。…だからこそ、これは、お前は嫌がるかもしれないけど、…苦しいアルバムではあるけどさ、最後にはちゃんと一つの生き方が提示されてるからこそ、ある意味で救いのある歌だと思う。うん…そう言いたい、が近いかもだけど。

カワノ だといいけどね。どうでしょう?

ーまぁでも、音楽で…音楽に限らずか…人が人のことをどうこうしようなんて、そういう話をしたいわけじゃないでしょう?

カワノ いやぁ、そうではあるけどさ…。それでもね、それを、こう…どうこうしよう、…歌を誰かに届けよう、っていうのが俺の目指すところであり…。…あぁ、俺が諦めちゃいけない理想っていうのは、そういうことなのかもしれんな。最終的には何にもならないで、決定的に敗れると分かってはいるけど…、誰かのために歌う、っていう。…まぁ、必ずそれはかなわないで、敗れるけど笑

ーそこは覚悟の上でやれてるじゃん。

カワノ そうね。まず、そんなもんは勝った試しがないことは歴史が証明してますから。…俺はロックンロールやらパンクって、失敗や敗北の歴史ではあると思ってるんで。無力の美しい結晶が重なってる歴史。でもね、負けるから美しい、届かないから格好がつくものもあると思ってるんだよ。不謹慎だけど、カート・コバーンも、イアン・カーティスも、最後に悲惨な敗北をしたから胸を打つわけでさ。なんの苦しみもない人が苦しみを歌っても何も響かないし、報われたのなら報われた形の歌を歌えばいいのに、って思うから….もしも仮に、俺がアルバムで歌ってるこんなことが押し通されて、勝ってしまう様なことがあったとしたら…それはそれで幸福かもしれないが、そんなものは嘘だと思うし。ここまで自分を否定し続けてきた意味が、なくなってしまうことは恐ろしいよね。

ー…最後まで諦めずに戦って、負けることか。

カワノ もっと言えば、美しく負けることか。…本来歌って、浮世から拾ってきたものだから、どんなに歪んでいても美しものだと、俺は思うんで。現実にはない綺麗な色をしていてもいいし、ありえない美しい形をしててもいい。…それを少しだけ見せる、っていうのが、俺のやってることだった一番嬉しいっすよね。

ーそうだね。

カワノ …ハズっ! 普段こんなんじゃないんですけど…。

ー笑

カワノ もうちょっとクールな感じで行きたいんで、マジで笑 …水もらっていいっすか?笑 もう終わるけど笑

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